無言というと消極性の現れだと思われるらしい。
端的には引っ込み思案ということだ。
そういう消極的な無言ももちろんあるのだが、その一方で、積極的な無言というのも非常に多用されている。
積極的な無言というのは使われすぎていて、逆に論じられることすらない。

積極的な無言、つまり、黙って相手を見るだけの行為だが、必ずしも露骨に嫌な顔をするのではなく、ごく自然体で無言でいるだけである。
多少の蔑みは含むが、それを強く出すことはなく、ほとんど無表情である。

相手の意図を見透かした上で、あえて言わないわけである。
たぶん親や教師から「他人の意図を見透かせ」と教えられることはないから、(むしろ見透かすなと言われるだろうから)自然に身につくかどうかの話である。

われわれは他人の心は読めるのである。
超能力で読んでいるわけではないが、人類はクローンなので、いわば同型機としてあれこれ想像が付くから、相手の魂胆は見透かすことが出来る。
普通の人は無言で相手を見るだけで済ませるし、見透かした結果を言葉にすることはない。
急所を突かれて喜ぶ人間はいないので、あえて言わないだけである。

だからこの世界はずいぶん多くが無言のやり取りなのである。
あえて言わないからである。

他人の急所を突いて怒りを買ったとして、その反省から、お人好しのコースに入ってしまうこともままあるだろう。
相手を怒らせないように、できるだけ気づかないようにするわけだ。
これは明らかに間違った戦略である。
魂胆を見透かすのは必須であり、だが、言ってはいけないだけである。
お人好しというのは、莫迦みたいに騙されてあげるようなものだが、そこまで接待する必要はない。
急所を突かれた人間の怒りというか逆恨みが凄まじいので、相手を蔑みながら、ひとりの貴族として沈黙するだけである。







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