社会契約が人間をつなげているのではなく、人間の肉体が根本的に同じなのである。
この地球上のあちこちにタンポポが咲いているとして、それは全部同じタンポポである。
人間そのものが同じだから、社会を集団的に共有しているように錯覚している、もしくはそういう構想を可能にするのである。
歩行で移動は可能であるが、あちこちに似たような人間が根付いており、人間世界の現象の仕組みに従って同じような体験をしている。
人間存在としての在り方も、男とか女とか、父親とか、そういう遺伝的に組み込まれたシンボル性を生きている。
このシンボル性は人間の文化の基底を成している。
たとえば歴史上において、父親殺しは滅多に実行されないが、兄弟殺しはかなり頻繁にある。
われわれは父殺しの罪を原罪として背負っており、これは実行したわけではないが、願望自体が咎められている。
兄とか弟はどうやらシンボル性が弱いらしく、皇位継承権で争うとなれば、平気で斬って捨てる。

世の中の大半の人とは会うことがないが、だいたい誰でも同じような体験をしている。
その「体験」が人間世界の現象だからであり、似たり寄ったりである。
海やプールで泳ぐとなれば、人間の肉体の規格に沿って誰でも似たようなものになるから、「泳ぐ」という動詞で通じるわけである。
虫歯が0本という羨むべき人間もいるらしいが、そういう人でも「歯が痛い」というのは想像が付くだろう。
頭が痛い、腹が減った、眠りたい、セックスがしたい、蚊に刺されて痒い、そういうことである。

国民国家における市民としては、日本の一億三千万人と共同存在しているつもりだが、もっと昔の世の中だと、村で村人として生きていたであろう。
あちこちの僻地でバラバラに生きていて、独特の風習を文化的に持つとしても、胃袋と生殖器が中心であるから、だいたい似たようなものでもある。
社会を共有して人間がひとつになるというよりは、元からだいたい同じなのである。







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