大正天皇は20歳代の頃はかなり普通であり、まともな知力もあったと思われるが、幼少期からかなり病弱であり、わがままに育ったのもあるだろうし、また晩年は頭のおかしい人だったから、その奇妙な言動を失笑され、国民から軽侮される存在だったとも言える。
大正天皇の晩年は皇太子時代の昭和天皇が摂政としてやっていたわけだが、果たしてあれがどうだったのか、という問題もあるだろう。
時代背景として1917年にロシア革命があったので、隣国にソビエトがある状態であるから、大正天皇(1879-1926)だけの問題ではあるまい。
1932年の5.15事件の連中に減刑嘆願が殺到して国士として扱われた時代風潮などは、共産主義のオルタネイティヴであるファシズムを求めたのであろうし、天皇というのは理由付けでしかない。
また1922年に長州藩のボスである山県有朋が死んだので、ここから長州閥を叩き潰すための軍部での派閥抗争が活発化しているから、これによって殺伐とした軍人が威張り散らす風潮も生まれた。
大正天皇の晩年の状態がファシズムを跋扈させる一因だったという論旨も成り立つが、大正天皇がおかしくなり始めた段階で退位して昭和天皇にスイッチしていても、歴史はたいして変わってない気もする。
とはいえ、大正天皇の晩年が怪しかったから、昭和天皇がお飾りとして軍人に担がれたと言えないこともないし、これから今上天皇がボケ老人のようになっていくとすれば、これまた天皇の権威として危惧があるであろう。
青年将校がお手本にしていた明治維新も、あれは孝明天皇に嫌われていた連中が、なぜか都合よく孝明天皇が急死してから幼い明治天皇を担いだ格好であるし、松平容保(会津藩)などは孝明天皇から非常に信頼されていたから、大変なことになってしまった。
なんにせよ、今上天皇としては、頭がしっかりしている間に退位したいのであろう。







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