2016.08.25

悪党と善党

又悪は必要の前にはよく団結する。だから一人でも、“あいつは悪党だ”と言う。それなら善党という語があるかと言うと、善人という語はあるが、善党という語はない。それだけ悪人は団結力を持っておるわけです。


Kindle Unlimitedで安岡正篤の「論語に学ぶ」(PHP文庫)を読んでみた。
この本自体はくだらない精神論で読む価値無し。
三島由紀夫は安岡正篤の本で陽明学を学んだらしいのだが、それがあの市ヶ谷駐屯地での割腹自殺であるから、まあその程度である。
だが、冒頭に引用した部分がおもしろかったので、ここだけ取り上げておく。
誰でもわかっている現象に名前が付いてなくてモヤモヤすることがあるが、「善党」と言われると、ああなるほどと思うわけである。

大人の世界で言えば、巨額の利権に絡んでいる人は死活問題だから必死だけど、一般の人は薄く広く税金を取られているわけであり、一人頭にしたら1000円くらいの被害かもしれない。
なかなかこの1000円の怒りを結集させる力学がない。
力への意志への問題でもある。
強さを感じなければ人間は動けない。

善党の難しさは、やはり恥の感情であるだろう。
他人と握手する気恥ずかしさ、もしくは気持ち悪さである。
人見知り、儀礼的無関心、其のあたりの遠慮が強く働く。
悪意がオープンであるのに対し、良心はプライベートな内心の声であり、それを触れ合わせたくはない。

たとえば電通五輪をやめてくれとか、クールジャパン5000億円をやめてくれとか思っている人はたくさんいるはずだし、わたしも決起したいくらいだが、善党として連帯できるかというと難しい。

学生運動が善党だったかというと決してそうではあるまいし、むしろ悪意の塊であろう。
やはりどこか気が触れた正義こそが集団的熱狂として他者との壁を突き破るのだが、そうなると善党ではない。







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