人倫の問題として、他人を犯人扱いするのは、軽々しくやってはいけない。むかついたから他人を痴漢扱いして警察に通報とか、そういうのは大罪である。これについては長々と述べる必要はないだろうから筆は省く。さて、ここからが本題だが、他人の発言を疑うのは大いにやらなければならない。「人を疑うのは失礼」なんてことはない。わたしは遠い昔はお人好しだったので、相手が嘘を言っていても真に受けて騙されてあげていた。相手が嘘を付いているとわかっていても、見透かすことが失礼であるように思えたので、騙されてあげることもあったのだ。そのおかげでダメージを負ったが、それは戦傷ですらなく、間が抜けた傷痕でしかない。これは「人を疑うのは失礼」という道徳律に縛られていたからであろう。相手が立派な人格者ならいいが、実情としてインチキの塊である。嘘だと見抜いたら、騙されてやることはないのである。道徳教育は他人をリスペクトするように叩き込むのだが、その他人がインチキなのだから救いがたい。おそらく根底にあるのは親や教師を見透かしてはならないということだが、相手が誰でも頭を下げるのは奴隷根性でしかないし、神は死んだのであるから、無明の闇を生きることに終止符が打たれなければならず、インチキな人間に畏敬の念を払う白痴であることをやめて、この白み始めた空に浮かび上がってくる他人のいかがわしい正体を見出さなければならない。あまり相手を難詰すると逆恨みされるので、色をなして論破する必要はないが、インチキに気づいていると示せばいいだけである。警察に虚偽通報するとか、ありもしない濡れ衣を着せるとか、そういう冤罪の製造をやってはいけないが、他人の真贋は見分けなければならない。相手のインチキを見ぬいた場合には、見透かしたことを示していいのである。ご機嫌を取らないといけない相手に対して、でくの坊として「気づいてないふり」をして騙されてあげることもあるだろうし、ケースバイケースだが、そういう配慮が必要ない場合は、「気づいてる」ことを示せばいいだけである。あるいは相手が嘘くさい自慢話をしていて、それがわたしにとってノーダメージであるときは、咎め立てることもないであろうし、気づかない振りをしてあげるかもしれないが、ダメージが有る場合は、「気づいている」と示すしかないのである。







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