われわれは同一人物として存在し続け、そして死んでいくのだが、これはあくまで同一性の問題であり、文字通りの同一というわけではない。
むしろ同一ではなくなることを迫られることが多々あるのである。
物事に対するアティテュードの変更をしなければ生存できない、ということがある。
素朴な事例で言うなら、「いい人」をやめて「嫌な奴」になるとか、そういうことである。
こういうのも、人生の変転次第であり、いい人のままで差し支えないことがあるが、自業自得であれ事故であれ、何らかの深刻な事態に陥ったことを契機に変更を迫られることがある。
アティテュードの変更も、それこそが人生とも言えるし、歴史上の人物ともなれば、何らかの体験で人生が変わったという印象的な挿話が付き物である。
何らかの挫折をきっかけに酒やドラッグに溺れるというような後ろ向きの行動も、ひとつのアティテュードの変更ではある。

卑近な事例で言えば、たとえば、ベッキーはどうにもならないであろう。
人気など無いにも関わらずインチキな好感度で好人物を演じていただけであり、誰もが胡散臭いと思っていたわけだ。
CM出演など二度と出来ないから、そこを断念するのが最初の一歩であろうが、ギャラが美味すぎて、過去に葬り去れないのであろう。
ここからどうするのか知らないし、おそらく火消しは無理であろうから、すべて捨て去ったタレントとして生きるしかあるまいが、それでうまくいくわけではないだろう。
好感度というインチキなジャンルから永久追放されたのに、まだそこにしがみつこうとしている往生際の悪さを見せているのが現状であるし、ファンの実態などないから、永遠の苦しみにも思える。
過去を白紙にして、また好感度タレントに生まれ変わることを願っているはずだが、それは出来ないわけであり、血腥い因縁を背負わされてこそ人生である。
好感度という王朝は倒れたのでレジーム・チェンジするしかないのだが、ベッキーには好感度しか引き出しがない。
個人は一回性であり、精神面でアティテュードの変更が難しいだけでなく、途中から新しいことは覚えられないから、自業自得であれ、もしくは不運な被害者であれ、不平士族として愚痴るしかないこともある。
白骨として野ざらしになるのが個人の定めであり、新しい王朝を築きあげるようなアティテュードの変更は容易くない。
世の中が変わって新時代になり、乗り遅れた個人は詰んだまま馬齢を重ね、失意の後半生を過ごしながら死んでいくのが人生でもあろうし、暗礁に乗り上げてずっと廃墟のままというのも人間らしいアティテュードではある。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング