人間は死ぬために生きていると、後半生になれば誰もが思うのであろうが、それはたいていは字面のものであり、その死の根源まで見透したわけではあるまい。石原伸晃だって、自分がいつか死ぬことは理屈では承知しているだろうが、永遠に逃げまわって生き延びる俗的な願望から遁れられない。小池百合子は老境に差し掛かった60過ぎの女として、死の手前にいる自覚を強く持っている。論語読みの論語知らずという言葉があるが、格言だけ覚えていても、本人がそれを賢者として理解しているとは限らない。「人間どうせ死ぬんだから」と誰もが言うとしても、たいていは曖昧さの中でいつまでも生きてるつもりだったりするのだが、小池百合子はおそらく死に向かった存在としての境地に到達したのであり、その眼睛は死のすべてを見透している。「崖から飛び降りる」と言って立候補したのもそういうことであろう。小池百合子が生まれつき、大西郷のような肝の座った人物とは思えないが、人生を歩んでいく過程で、自我の妄執から脱したのである。おそらく人間不信としての側面もあり、裏切られたり騙されたり苦痛を体験し、これだけ疼痛を体験したのだから、匕首を世界に向けてもいいであろうという居直りであろうが、彼女の場合は女性であるし、過激な宗教の教説を報じているとも思えないので、テロリストにはなれず、ただこの穢れた嘘くさい世界をすべて告発し白日のもとに晒すという報復を、いわば人類愛として行おうとしている。21歳の時にエジプト留学し、そこで日本人留学生と結婚したらしいのだが、すぐに離婚しており、おそらく子どももいない。安らかに大往生することなど欠片も考えてないし、むしろ非業の死を遂げる場を探しているという印象さえ受ける。考えてみると、大西郷は、日本人からは大変な人気があるが、世界的な偉人というわけではないし、外人に大西郷の凄さを伝えられるかというと、そう簡単ではない。腹をくくった人物が必要とされる時代があり、そこに現れたのである。大西郷は明らかに朝敵であるのに、その死後も明治天皇はかなり好感を持っていた様子が見受けられるし、日本人が好むタイプだと言うしか無い。小池百合子は、目が眩んでいたり曇っていたりする様子がまったく見られないし、おそらくはかなりの苦痛の中で、おぞましい人間をいろいろと見てきた人物である。大西郷も自殺未遂したり、奄美大島に五年くらい流されたり、かなりの絶望を体験して、敬天愛人(天を敬い人を愛する)という心境に至ったのである。この賢者たる姿勢は教えられるものではない。「私利私欲をなくせ」と教えるのは簡単だが、はいはい返事はよくても、その決まり文句を覚えただけであり、本気で実践はしまいし、中身は欲望で真っ黒なのが普通である。人間そのものに絶望し、煩悶し慟哭し、それを消化して自ら蒙を啓くだけの賢明さがなければ、決してこのような無我の境地には至れない。







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