われわれは自らの持ち物を自分のものだと思うわけである。
机や椅子やスマホが身の回りにあるとして、「自分の机」とか「自分のスマホ」という言い方をする。
同一機種を持っている人間は世界中にたくさんいるであろうに「自分のスマホ」と呼ぶ。
これをおかしいとは思わないのである。

ちょっとしたことで怒り狂う人間がいるとして、やはり「自分の怒り」だと思っているわけである。
感情が自分のものであるのは当たり前だと言うかもしれないが、そのわりには「怒り」とか「喜び」とか「悲しみ」とか、単語ひとつで通じるのである。
いつも怒り狂っている人と、普段は温厚な人の違いはあるにせよ、「怒り」としては同一の機能であろう。

まずは「自分の判断」という思い込みをやめた方がいい。
自分の判断は「自分のスマホ」と同じようなものであり、独自性はない。

だいたいどこの文明も身分制度で始まるのだが、謎であるのは、王様が決して不死身の超能力者ではないことである。
不死身どころか、「偉い人」を絶対に守るという力学で、あれこれ守られてようやく生き延びている。
強者-弱者という対概念で語られることが多いが、肉体的に屈強な黒人が奴隷にされてしまうのであるから、「偉い人」という言葉で説明したほうが的確だと思われる。
われわれは支配者に虐げられているはずなのだが、やはり「偉い人」に屈従する本能がある。
では黒人は永遠に奴隷かというとそれはないし、白人がご主人様で偉いという観念との戦いである。

たとえば、かなり昔の世の中で、黒人奴隷が白人に逆らって暴れていたら、われわれは秩序のために、黒人を取り押さえるわけである。
(貧弱な日本人が黒人を取り押さえられるわけがないが、喩え話なので、そこまで深く問わない)。
問題なのは、秩序への意識である。
白人の秩序に、無秩序な黒人奴隷が反抗して暴れている構図であるから、偉そうな白人に協力して秩序回復をしなければならないと思うわけである。
そういう判断を「自分の判断」でするわけだ。
偉い人(偉そうな人)を守ろうという自分の判断は、どのスマホでも同じ動作をするようなものであり、人類普遍のものである。
われわれは自分でスマホを作ってないし、判断する基準も自分では決めてないのである。







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