代理人に権利を主張してもらうのは、法律知識の問題として専門家に任せる側面が強いわけだが、おそらくそれだけではない。
内輪の世界では、人間というのは、蔑まれており、もしくは畏怖されており、そういうカーストが染み付いている。
絶大なる発言力、もしくは、発言力の欠落である。
だから人間の常識として、当然の主張すら通らないことがある。
つまり、権利主張の前提として、人間の尊厳というのがあるわけだが、これが内輪の論理で破壊されている場合、その肝心の前提が退けられている。
靴にビールを注がれて「俺の酒が飲めないのか」と言われたとして、これがどこかの飲み屋で知らないオッサンに言われたのなら、そのような義理はないと主張できる、というより、そのような蛮行へ殺意を向け、何ら負い目なく怒るのは可能である。
これが内輪の論理の中で「俺の酒が飲めないのか」であるとするなら、それを拒む基礎となる人間の尊厳が破壊されているので、内輪の人間全員を敵に回せない弱さに負い目を感じながらビールを飲むのだ。
もしここでまったく無関係の人間が代理人として登場できるなら、その蛮行への謝罪とか、原状回復を主張できる。
内輪の論理への甘えを切断した上で、常識的な主張が出来る。
戦う必要など無く、その非常識さへ目線を向ければいいだけなのである。
このような内輪の論理を異常性と言うのはたやすいが、閉じられた関係の中では暴力的なマウンティングを行うのは正常であるとも言える。
この世の中の異常性の大半は、本当に気が触れて心神喪失になっているのではなく、故意の腐敗であるから、それに汚染された人間では如何ともし難いので、尊厳が穢されてない外部の人間に代理してもらう必要があるのである。







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