人間の尊厳は、その人への畏怖の問題である。
この人を怒らせたら怖い、というのが尊厳である。
これを(ニーチェの「道徳の系譜学」を意識して)貴族的尊厳と名付けてみる。

では、そういう貴族的尊厳がない人はどうすればいいのであろうか。
というより、尊厳を奪い取られるというのは、そういうことなのだ。
貴族的尊厳を奪い取られることだ。
つまり「こいつは怖くない」という烙印を押された、ということだ。
そういう怖くない人間にも尊厳はあるが、これは奴隷的尊厳とでも言うしか無く、それは蔑まれるのである。

現在の社会では、身分制度とかないから、普段の生活で奴隷扱いの人間でも、本当の奴隷ではないから法的には立派な尊厳がある。
普段から内輪のルールで馬鹿にされている奴が、たとえばどこかで窃盗の被害に遭ったとする。
こいつは怖くないから無罪とかあり得ない。
あるいは逆に、被害者が普段から会社で「この人は怖い」と怖がられているとしても、その貴族的尊厳を汚したから死刑ということはない。

ただし、家族や学校や会社に警察が乗り込んでいくのも難しいから、内輪の世界ではカーストがあり、ここは貴族的尊厳-奴隷的尊厳で動いている。
だから、「この人は怖い」「こいつは怖くない」というマウンティングが常態化する。

学校のいじめで「こいつは怖くない」という扱いが定着した場合、それは貴族的尊厳を持たない人間として証拠を掴まれたのだから、仕方がないのである。
いじめる側は「俺を怖らせると怖い」と主張するためにいじめてるのである。
家庭や会社でもそういうマウンティングはある。
いじめはよくないとか、単純な言説はまったくの無意味であり、「この人を怒らせたら怖い」とか「こいつは怖くない」という原始的な駆け引きが根っこにあり、学校・家庭・会社まで警察が面倒を見きれないから、大企業でさえ、靴にビールを入れて飲ませるとか、そういう馬鹿なマウンティングをやっているわけである。
そんな習慣があるのは電通だけだ、というわけではあるまい。







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