2016.11.25

遺族と家族愛

なにかのニュースで遺族なるものが出てくると、いかにも家族愛を背景としたものに思えるが、本来は彼らに愛などなかった。
外敵が発生したから家族愛が生じたのである。
普段は内輪揉めしていても、外敵がいれば一致団結する。
法的にはともかく実態として家族は連帯保証人であり、運命共同体と見なされているから、外敵に侵害されたとなれば決起しなければならない。

普段は家族と折り合いが悪くても、家族が犯罪の被害に遭ったとなれば報復感情が生じてくる。
この報復感情はいわば愛国心である。
ここでは愛国心がよいとも悪いとも言わないが、ともかく、隙間風を熱狂で埋め立てているのであり、普段から内輪で愛があるかどうかは怪しいのである。

運命共同体である家族が攻撃されたら怒るのは当然であるし、外敵に家族が攻撃されたときの怒りというのは誰でもわかるものだから、共感するのは可能なのだが、それと同時に、家族がそんなに普段から愛に満ち溢れているかどうか、現実に照らし合わせて疑問を覚える。
自分の家庭でも知人の家庭でも、あいつら普段からそんなに愛に溢れているか、という話である。
被害の大きさを誇張するために、これまで愛を知らなかった家族が過去に遡って、筆硯を新たにし、綺羅びやかな美しい想い出に書き換えられても困るのである。
こういう美談はいわば神武天皇のようなものであり、実在はしない。
遺族になると家族は、その怒りの礎となる建国神話を求めて、それこそ奇跡の詩人として、悪魔憑きのように愛に貫かれてきた歴史を書き綴るのである。

池永チャールストーマスと鈴木沙彩さんにしてもそうだし、鈴木沙彩さんが清楚だというが、最近の東京でいかにもDQNな女はそんなにいない。
中身がDQNでも黒髪にしていたりするものだ。
鈴木沙彩さんの外見が清楚だとしても、それは最近の流行りであり、この人の中身はDQNである。
DQNとDQNが色恋沙汰でやらかしただけである。
つまり鈴木沙彩さんは元から汚れた女なので、「汚された」というのは偽史である。

いわば集団安全保障として、われわれはお互いの遺族感情を尊重しており、それに乗っかっていくことになっているのだが、やはり普段から家族という集団が愛に満ち溢れているとは言い難いので、遺族がふっかける無理難題にまでお付き合いする必要はないと思われる。
福知山の露天商が火事を出した時に、問題の露天商をスルーして、金がありそうな商工会議所に遺族が殺到した件などは、彼らの暴徒としての行動に鼻白むくらいの自由はあるだろう。







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