この問題は時たま指摘している人がいるのだが、たいていは余談であるようだ。
数多の書物を探せば、この問題をメインにしている本だってあるだろう。
いや、必ずあるとは思うのだが、どうもこの問題への注目度は低くて、ちょっとした付け足しで書かれるのである。

たとえばADHDという概念を日本で有名にした「ADHD のび太・ジャイアン症候群」(司馬 理英子)ではこんな記述がある。
ある定年退職した小学校教師が、いじめに関してこんな意見を寄せてくれました。
「いじめが起こるのは、教師に問題があるんじゃないかと思うんですよね。これはだれにも言ったことはないんですけど。教師の気持ちの中に、『この子はグズだ、いやだな』とか、『どうして、この子はこんなふうなのだろう』みたいな気持ちがあって、それをまわりの子どもたちが敏感に感じとるんじゃないかな、と思うんですよ。それで、この子ならいじめても先生もうるさく言わないだろう、というような暗黙の了解ができるような気がします」
子どもたちがそういう教師のひそかな気持ちを敏感に察知して、いじめがある意味で容認されていると感じるので、いじめが継続して程度がひどくなっていくのではないかというのです。


この本では、この問題を指摘するにとどめ、話は広げていない。
たいてい、この問題はあまりメインテーマにならないのである。

たとえば空想癖がある人間は、いつも頭の中で別のことを考えているわけである。
目の前のことより、自分のファンタジー世界のほうが重要なのである。
これは教師からしたら、とても苛立つことである。
空想癖が悪事だと言われることはないが、自室で一人の時に限らず、他人を前にしても空想しているだろうから、周囲に注意を払ってないことは明らかである。

発達障害があっても、教え方がうまい塾の先生の授業なら興味津々で聴くかもしれないし、これは学校教師の授業が下手くそだという問題もあるが、しかし、興味を惹かれないからこそ「他人に関心を向ける」のが社会性とも言える。
むしろこの社会のつまらなさからすると、つまらない授業でも聴けるかどうかが肝心なのだ。

教師が露骨に生徒を馬鹿にすることもあるだろうし、これはこれで問題とするべきである。
教師はクラスの法を体現しているとも言えるし、お墨付きを与えることになるからだ。
とはいえ、上の空でぼんやりしている生徒を馬鹿だと思ってしまうのは仕方がないし、露わにしないように気をつけても、教師の印象は伝わるであろう。
問題の生徒を治療するか、もしくは保健室でファンタジー世界に浸らせておくしかない。







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