東浩紀「存在論的、郵便的」
誰でも同じだと思うが、20代半ばのこの五年のあいだに、僕と僕をめぐる状況は根本的に変わってしまった。
この本のいたるところがその個人的変化を映している。
出版にあたっての修正はそれを隠すためにも行われたのだが、敏感な読者にはやはりそれは伝わるであろう。

これについては過去に何度か触れているのだが、やはり折に触れて銘記するべき問題であろうし、繰り返し指摘しておきたい。
修正される前の文章まで調べるのは面倒なので調べてないが、そこまで手間をかける必要はないであろう。
1998年、つまり東浩紀が27歳の時に「存在論的、郵便的」は出版されているが、ソーカル事件の幕開けが1994年であり、「知の欺瞞」が出版されたのは1997年である。
東浩紀が「存在論的、郵便的」の元の原稿を雑誌に発表したのは1994年からなので、まさにソーカル事件と軌を一にするがごとく生きてきたのである。
フランス現代思想の難しい本に載っている数学は出鱈目であると、アラン・ソーカル(ニューヨーク大学物理学教授)が晒し上げた事件であるが、やはり本職の理数系の教授に検証されると、ジャック・ラカンをはじめとするカリスマ思想家たちの数学の知識が怪しいことが露呈してしまった。
ソーカルは本の内容まで論破したわけではないが、やたらと難解なフランス現代思想の文章が疑わしくなったのは言うまでもない。
少なくとも、数学の知識が出鱈目であるのに、高等数学の数式を並べていたことは露顕したわけである。
これによって、ジャック・ラカンの意味不明の文章が無価値になった。
もちろんジャック・ラカンを読むのは自由だし、意味不明の文章を深読みするのは妨げられないが、学問としての価値は地に堕ちたのである。
普通に読んでわけがわからない文章に添えられていた高等数学がインチキとなれば、文章そのものが唾棄されるのは当然である。
だからどうしたというわけでもないが、27歳まで勉強していたことが無駄になった人であると理解しないと、東浩紀の言動がわかりづらいと思うので、背景を説明しているだけである。







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