2017.01.14
baoとはるかぜ。自己啓発の濃淡。教育論で格差を縮める。
インチキの臭いを嗅ぎ取った時にそれを口にするのは品性のある態度ではない。そもそも何か変だと思っても、相手のプライバシーに踏み込んで捜査する権限などないのだから、真偽をはっきりさせることも出来ないから、想像で察するしかない。「なんかおかしいのでは」と思っても、察した人は黙っているし、察しの悪い人は騙されたり、もしくは手品師に向かって「これは手品だ」と言い放つような子供染みたことをやってしまう。件のbaoという子どもは、茂木健一郎とか、あのあたりの文化人のプロデュースなのであろうし、広義にははるかぜと同枠だが、ネットで炎上狙いではなかろうし、旧媒体の手法という印象である。またbaoははるかぜより遥かに自己啓発の色が強そうである。はるかぜはババアが無計画に代筆して発散していた事例であるから、粗忽な毒親が猛け狂う様子を見せていただけであり、杜撰極まりなかった。なぜかITmediaの岡田有花が引っかかったので、まったくビジネス的な繋がりがないのに提灯記事を書くという事案が発生し、意外と人気者になったが、岡田有花は京都大学卒なので、恵まれた人間である可能性が高く、家庭環境に難のある問題児と接したことがないのであろう。このところは女になにか言うだけで警察がやってくるから、物言えば唇寒しであるし、岡田有花に罵詈雑言を吐いたり蔑称を投げつけることは差し控えるが、「はるかぜちゃんの方が大人だよ」とか煽られてわれわれはとても不愉快であった。はるかぜとbaoはタイプは違うとは言え、同じジャンルであるから、数日前にはるかぜババアがbaoに上から目線のアドバイスをする形で難癖を付けていたが、baoがいようがいるまいが、はるかぜは賞味期限が切れている。同じ「天才」であっても、はるかぜは一万冊の本を読んだとか、そういうインテリ設定だったから、中学の勉強さえ落ちこぼれで、高校は通信という事実により化けの皮が剥がれた。baoはもっと観念的なポエムでやっていくであろう。はるかぜが社会派(笑)であるのに対し、baoは意識の高さを謳い上げるスピリチュアルなポエマーという棲み分けは可能であるはずだが、はるかぜ娘はもう高校生であるし、いろいろ露呈したので難しい。おそらく自己啓発というものは需要があり、嘘でもいいから縋りたい人達がいる。学歴社会の落ちこぼれに対して、別のキャリアパスやライフスタイルを提案することが求められている。美人と不細工、のっぽとチビ、スポーツマンと運動音痴、豪邸とあばら屋、こういう格差だらけなのに、知的能力だけは平等でなければならないらしい。整形に関しては、受け入れ難い人もいるだろうが、やろうと思えば可能である。骨端線が閉じる前ならメッシのように薬で身長を伸ばして、不正だと言われること無く、バロンドールだって取れる。身長を延ばすのは自費だと年間200万円程度らしいが、そこそこ余裕のある家庭なら払えないわけではないだろう。だが、やはり教育が最優先であり、身長は後回しだ。それに整形なら税金で補助など出来ないし、ホルモン治療も先天的な障害を除いては同様である。教育なら無料が理想らしくて、文字さえ読めないのに大学を無料にしろとか騒ぐ馬鹿もいる。なにもかも不平等であるのが人類の特徴であるのに、教育論で差を縮めようとするのだ。格差について語る時に教育論だけするのは、かなり偏りがあると思う。教育というのは、この地獄の囚徒の前に垂れ下がっているただ一本の蜘蛛の糸であるらしいが、整形手術や成長ホルモンの話は前述したし、サイボーグのように動き回れるメッシが批判されてないのも事実だ。とはいえ教育論は点数の付け方も含んでいるから、これは自己承認の問題だけでなく、大企業の正社員になれるかどうかの死活問題でもある。これについては書くと長くなるし、そもそもわかりきった話だから筆を省く。はるかぜはおそらく特殊な炎上物件であり、baoみたいなポエマーは自己啓発の市場ではこれまでもいろいろといたのだろう。それに感化されたとして、出来損ないがさらに出来損ないになるのがオチだが、ファンタジーに憑かれて生きていたい人がいるのだろうし、われわれがその妄執を解く義務はあるまい。安易に引っ掛かる人がいると困るので警鐘を鳴らす必要はあろうが、欠陥があるからにはそれを埋め合わせる特別な才能が与えられているというスピリチュアルな発想の持ち主が厳然としているのだし、この飢え渇く業病が重篤であるなら他人が口を挟んでどうなるわけでもない。
スポンサードリンク