2017.02.05

真札と偽札

人間的なシステムの中での真偽は存在する。真札と偽札は明らかに違うものであり、人間的なシステムに照らして、その真偽は言える。ここに究極的な真偽がないのは論を俟たないが、われわれは真札/偽札の仕組みの中で、物事を判断して生きている。手塚治虫は戦時中に軍医が足りないということで、医学部でもないのに医師免許を貰えたが、これはこれで真札というしかないのである。国家が輪転機を余計に回してインチキ臭い真札を粗製乱造したという誹りは免れまいし、普通であれば医者になれるような人間でなかったのも確かである。真札/偽札のシステムでは、こういう釈然としない現象が生まれることもある。医師免許があるのだから医者をやるのは差し支えないが、真札を余分に刷ったというグレーな事案なので、綺羅びやかな経歴として提示するには無理がある。平時なら可笑しなことであろうし、たとえば情実で粗製乱造されたのであれば、裏口入学と同等に扱われるであろう。では、その偽札の真骨頂たる裏口入学も、コネ入社とどこが違うのかと言えば判然としないし、コネで下駄を履かせてもらうのは眉を顰める事案ではあるが、偽札とは言い切れない。跣足の状態こそが真実と言うのは容易いが、実力主義にさえ難癖をつける人権主義者がいるのであるから、何らかの手段で真札に紛れ込もうとする偽札は救いがたい問題であり、真札/偽札が人間システムの根幹であるがゆえに、タブーとして棚上げされていく。文字通りの紙幣の偽造であれば、これは警察が洗いざらい捜査する案件であるが、もう少し微妙な問題であると、あいつは怪しいと陰口を叩きながらも素知らぬ顔をするのが習いであるから、プライバシーとして突破できることもままあるし、そもそも国家が輪転機を余計に回すのは止め難い。真札がひとつの王朝であるとするなら、オルタナティブ・ファクトが別の王朝として成り立ちうる。EUという仮想現実よりは、もっとプリミティブな民族性の方が真実味があり、ユーロそのものが最大の偽札であると主張することも可能だ。あるいは、蓮舫の二重国籍問題などは、これがまかり通っても支持が下がるのが現実であるから自民党には有利ということで、空想的社会主義のファンタジーが検閲も校訂もされず故意に放置されているのである。今のところ大半の人間は、浮き草を繋いで生命を与えるツールとして国籍という通貨を信じているから、蓮舫をユートピア思想に基づいて受容できる人はかなり限られる。







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