怠けるのは無の境地へ向かおうとすることではなく、むしろ自我が強いから怠けるのである。
たとえばゴロゴロしているというのは非生産的ではあるが、ひとつの行動である。
非生産的だから行動ではないと決めつけるべきではない。
つまらないと感じた時にゴロゴロするという行動は、それなりにあり得ることだ。
努力が苦痛でないという人は少なからずいるが、そういう人は、つまらなさへの耐性が強い。
つまらなくても平気なのである。
たとえば本を読むとして、集中してないとすんなりと頭には入ってこないが、まったく入ってこないということはない。
気が乗らなくても本は読める。
集中力が最大値に到達してようやく書を紐解くというのであれば、かなり限られた本しか読めない。
退屈に耐えられない人でもゴロゴロしてツイッターが出来るのは、最高のツイートをしようという強迫観念がないからである。
読書については完璧主義なのに、気まぐれにツイートを読んで気まぐれにツイートするのは構わないということなのだ。
読書だって寝転がりながら弛緩した状態で行って差支えないし、気まぐれに拾い読みしてもいいと思うのだが、やはり「きちんと読む」のが基本であるから、その集中力を苦手としている人は逃げてしまう。
つまらなさに耐えられる、というより、至って平然としていられる人は少なからず存在しているから、ここが人間の格の違いなのであろう。
怠けるのは無ではないし、むしろ無を拒絶する愚かしい行動である。
心躍らず凋萎れている感情で充分に生きていけるかどうかであるが、なぜか金持ちのほうが渋面を作ってつまらない時間を過ごすことが平気である。
貧乏人がやたらとはしゃぐのもよくわからないが、家庭環境の影響があるようだ。







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