2017.03.22
最初に思いつくのが正攻法、だろうか
かつては不器用というのが美化されて、器用というのが蔑まれた。
おそらく昔の社会は流動性が低いので、同じ方法でやり続けることが求められた。
やり方を変えると、今までの努力が台無しになるとされていた。
脇目も振らずに愚直にやり続けるほうが志操の堅固な人物とされ、結果が出るということだったのだ。
ここ最近は器用というのが褒め言葉になったが、愚直に同じやり方を続けるよりは、「別の方法」を考えることが望ましいということになった。
これは神経症が社会から消滅したことと軌を一にしている。
神経症患者は賽の河原で小石を積み上げるがごとく決めこんだ手続きどおりの儀式を反復するわけだが、頑迷固陋な不器用さに価値を見出しているのである。
これがなくなったので、もはや正攻法も邪道もなく、物事の手順の効率化を自由に考えられるようになった。
変化が激しい現代では、愚直に身に着けた癖が邪魔になってしまうから、やり方を変えない頑固さが淘汰されたのである。
最初に正攻法だと思い込んだやり方が正しいとは限らないし、むしろ正しくない。
たいていの手順は見直す余地がある。
これは思考実験としてやらなければならない。
将棋やチェスで指してみてから「待った」と叫んでやり直すことが出来ないように、現実でも、実行してから指し直すのは好ましくない、もしくは出来ない。
人生は一度しか無いので、失敗から学ぶ教訓よりも、失敗によって負った手傷が深過ぎることは多々ある。
これは他者との駆け引きであることもあれば、作業の効率性の問題であることもある。
自分がカードを出して、続いて相手がカードを出してから「待った」というわけにはいかないので、カードを切る前から、頭の中で図上演習しなければならない。
あるいは30分掛かっていた作業を、いろいろ工夫して20分に縮めるとする。
器用・不器用の問題であるから、技術革新ではなくちょっとした閃きで30分から20分に縮められるという想定だが、こういうのをあっさり思いつく人もいれば、そうでない人もいる。
ここは試行錯誤が容認されるが、とはいえ、ああでもないこうでもないと四苦八苦すること自体が不器用さであるし、歳月は人を待たないので、あっさりと最善手が閃く人のほうが評価されるのは言うまでもない。
これは能力差でもあろうが、性格的な問題も大きいような気がする。
おそらく昔の社会は流動性が低いので、同じ方法でやり続けることが求められた。
やり方を変えると、今までの努力が台無しになるとされていた。
脇目も振らずに愚直にやり続けるほうが志操の堅固な人物とされ、結果が出るということだったのだ。
ここ最近は器用というのが褒め言葉になったが、愚直に同じやり方を続けるよりは、「別の方法」を考えることが望ましいということになった。
これは神経症が社会から消滅したことと軌を一にしている。
神経症患者は賽の河原で小石を積み上げるがごとく決めこんだ手続きどおりの儀式を反復するわけだが、頑迷固陋な不器用さに価値を見出しているのである。
これがなくなったので、もはや正攻法も邪道もなく、物事の手順の効率化を自由に考えられるようになった。
変化が激しい現代では、愚直に身に着けた癖が邪魔になってしまうから、やり方を変えない頑固さが淘汰されたのである。
最初に正攻法だと思い込んだやり方が正しいとは限らないし、むしろ正しくない。
たいていの手順は見直す余地がある。
これは思考実験としてやらなければならない。
将棋やチェスで指してみてから「待った」と叫んでやり直すことが出来ないように、現実でも、実行してから指し直すのは好ましくない、もしくは出来ない。
人生は一度しか無いので、失敗から学ぶ教訓よりも、失敗によって負った手傷が深過ぎることは多々ある。
これは他者との駆け引きであることもあれば、作業の効率性の問題であることもある。
自分がカードを出して、続いて相手がカードを出してから「待った」というわけにはいかないので、カードを切る前から、頭の中で図上演習しなければならない。
あるいは30分掛かっていた作業を、いろいろ工夫して20分に縮めるとする。
器用・不器用の問題であるから、技術革新ではなくちょっとした閃きで30分から20分に縮められるという想定だが、こういうのをあっさり思いつく人もいれば、そうでない人もいる。
ここは試行錯誤が容認されるが、とはいえ、ああでもないこうでもないと四苦八苦すること自体が不器用さであるし、歳月は人を待たないので、あっさりと最善手が閃く人のほうが評価されるのは言うまでもない。
これは能力差でもあろうが、性格的な問題も大きいような気がする。
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