19世紀にメアリー・シェリーが書いた「フランケンシュタイン」(宍戸儀一訳)で怪物は、自らの造り主に対してこのように述べた。

「人間の男はみな妻を見つけて抱き、動物もそれぞれ相棒をもっているのに、おれはひとりぼっちなのか。おれは愛情をもっているが、それが嫌悪と軽蔑で報いられた。おい! おまえは憎むかもしれないが、気をつけろ! おまえの一生が怖ろしいみじめなものになり、やがておまえから永久に幸福を奪い去らずにおかぬ電戟が、おみまいするからな。こんなみじめなありさまでおれが匍いずりまわっているというのに、おまえが幸福でいてよいものかね? おまえは、おれのそのほかの情熱を枯らすことができるとしても、復讐心だけは残るよ――これからは光や食べものよりもたいせつな復讐心だけは! おれは死ぬかもしれないが、まず、おれの暴君、おれの苦しみの種であるおまえを、自分の不幸を見下ろす太陽を呪うようにしてやる。気をつけろ、おれは恐れないし、力があるからな。おれは、毒牙で咬んでやるために、蛇の狡猾さでもって見守ってやる。やい、ひどい目にあって後悔するな。」

おそらくこの憎悪は現在のフランケンシュタインのイメージにさほど強く反映されてないが、とはいえ、原作で描かれたこの感情に普遍性があるから、フランケンシュタインは今でも広く知られる作品なのであろう。

われわれはなぜかこの地球上に存在しているので、造り主は不明である。
この難問について縷々と書き綴っても結論が出ないし、宗教観の問題もあるからややこしいので筆は省くが、われわれは誰かに責任を求めずにはいられない。

そして責任だけではない。
全人類と和解するべく、だれかひとりの愛を求めるのである。
怪物はこのようにも叫んだのだ。

「わたしはよく話しあうつもりでした。こんな激情がわたしには有害なのですよ。あんたは自分がその激情をよけいにした原因だということを考えてくれないからね。もしも誰かがわたしに慈悲ぶかい気もちをもつならば、わたしはそれを何万倍にもしておかえししますよ。というのは、その一人の人のためなら、全人類と和解してもいいからですよ!」


冨田真由さんが時計を送り返した時に「すべてを返せ」と岩崎友宏は言ったが、つまり社会全体が共犯であるという発想が根底にある。
過去にいろんな人から敬遠されてきて、そのすべての怨みが累積しており、その総決算を冨田真由さんに求めたのである。

これをただの異常者と片付けるのは容易い。
だが、過去にいろんな人から拒絶されたことで怨みを重ねているのは、そんなに珍しい発想ではあるまい。
たとえば差別問題などはその典型であろう。
差別の実行について、われわれは身に覚えがないにしても、いつの間にか社会的な共犯者として参加したことになっている。
傍観者として無意識の差別に加担していたらしいのである。
そして、差別されたという人たちは、その過去からの連綿たる怨みをすべて相続している債権者である。
社会としてこの債務を背負うという発想はあるらしいから、その溜まり溜まった怨恨を鎮めるべく、税金から喜捨して、身に覚えはないが、傍観者として共犯関係にあるらしい歴史的大罪を贖うのである。
われわれはお互いを花鳥風月として賞翫しているわけではなく、貪り尽くすこともあれば、踏み台にしたり、叩き落としたり、なぜかデスゲームをやっているので、その有責性の出処は不明ながら、図らずも業が深いということになるのであろう。

岩崎友宏に関しては、個人のパーソナリティに帰着する欠陥であるから、今のところ差別の要件には当て嵌まらないが、パワー系池沼が真人間になるのも難しい。
自らを律して粗暴性を脱却すべしということだろうが、自己改善できるとも思えない。
あちこちで疎略にされて恨み骨髄に徹しているのを「逆恨み」と呼ぶのは容易いが、われわれがこういう粗暴で馴れ馴れしい人種をパワー系として蔑んでいる罪かもしれないわけだ。

われわれはヤクザやDQNにはバイ菌として蔑むようには接しないし、恭しく道を譲っている。
それどころか若い女は、自ら好んで褥をともにすることも多々あるわけだ。
それに対して、岩崎友宏は明らかに侮蔑されており、DQNに股を開く女も逃げまどう。
われわれはこの手のパワー系を軽侮しているのだ。
岩崎友宏のような、いわば現代のフランケンシュタインたるパワー系池沼に対して、その粗暴性に懸念をおぼえながらも、わずかに善良な部分もあるし、軽んじて侮っているのである。
われわれはこの類の人間を犯罪者予備軍と誹りながらも、普段はそれなりに安全であるし、万が一の暴発を危惧しているだけである。
実行にまで至るのは稀であろうし、本気で悩むとすれば杞人天を憂うである。
フランケンシュタイン的な課題として見れば、われわれが必要以上に怪物を敬遠するからこそ憎悪が膨らんで、本当に血腥い怪物となったとも言える。

「フランケンシュタイン」の原作において、フランケンシュタインというのは造り主の名前である。
怪物に名前は付いていない。
とはいえ、ややこしいから、これは曖昧にしておく。
この造り主は怪物から「結婚式の夜には気をつけろ」と言われていたのだが、結婚式を挙げてしまう。
そうしたら花嫁を怪物に殺されるのである。
それこそ冨田真由さんと同じであり、侮っていたわけだ。

冨田真由さんに対して税金で補償をするべきかについてはいろいろと意見があると思うが、こういうフランケンシュタイン的怪物は泳がしておくしかないし、警察に責任はないにしても、厄介な人間を疎んじた人類の業として税金で贖われてもいいであろう。
事前に止めるわけにはいかないので、なにかしら事後的な補償がされてもいいであろうし、いわば保険制度として犯罪被害者給付金制度も理がある。
冨田真由さんは死んでないので、重傷者として支払われるのは120万円だとされている。
身体障害として第一級という解釈だと最高で4000万円支払われるそうである。
国家公安委員会では第一級だとこのような定義になっている。

両眼が失明したもの
咀嚼(そしゃく)及び言語の機能を廃したもの
神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、常に介護を要するもの
胸腹部臓器の機能に著しい障害を残し、常に介護を要するもの
両上肢をひじ関節以上で失ったもの
両上肢の用を全廃したもの
両下肢をひざ関節以上で失ったもの
両下肢の用を全廃したもの


あまり手厚く給付すると当事者の責任が曖昧になるし、若い美人が刃傷だらけになったからと言って、失明や全身麻痺と同等に扱うのかという問題はあろう。
40過ぎの婚活おばさんが滅多刺しにされたら、扱いが難しくなる。
とはいえ、ここまで述べてきた理由から、それなりの金銭的な給付はされて然るべきなのである。







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