たとえば4分の曲があるとする。
これを0秒でイメージできるかというと、可能ではある。
そもそも4分掛けて曲を聴き終わった瞬間の状態を考えてみてもらいたい。
その終了時点で、4分は過去である。
短期記憶でつなげている状態でしかないし、0秒で4分を経験したつもりになっているだけだ。
曲が始まって3分の時点でも、そこまでの経過は記憶でしかないし、決して3分という時間が維持されているわけではなく、それまでの3分は永遠に滅している。
脳内で地続きの現在という連続性を作り出しているだけで、本当は時間の流れなどない。
人間はいつでも0秒の地点に存在しており、記憶で時間の流れを経験しているだけなのである。

われわれは人間という現象を生きているので、この現象世界において時間というのは他者との通貨であり、いつもその経過を逐一確認しなければならない。
だから、時間を直線的に引いて確認しているのだが、やはり過去は記憶の中にしかないし、いつでも0秒の地点から回想で繋げているだけである。
記憶を繋いで「流れ」を認識しているから、われわれは時間について思い違いをしている。

たとえば80歳で死ぬとして、80年生きたつもりになっているかもしれないが、その死の床で臨終を迎えようとする老人は、あくまで80年を回想しているだけである。
過去も未来もない0秒のところに人間はいるのだし、あらゆる経験は、時間の経過というイメージを伴うとしても、やはりイメージの展開でしかないから、本質的には0秒である。







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