2017.04.23
買い物は人生
金がなくて時間が余っていると、いわば虫刺されを掻き毟っているような状態であり、化膿して腐臭が漂い、さらに掻き毟るのである。財布からお金を出さない人間は、こういう痒みが深く根を張った閉塞感を生きている。金銭を使った消費こそが環境世界を更新する。そもそもわれわれの存在とは何ぞやというと、所有である。所有物と一緒に作り出される環境世界こそが人間存在である。裸一貫の原始人のような自分があって、たまたまそれが何かを所有しているのではなく、むしろ所有物が自分なのである。洋服や住んでいる家を取り除いて人間を考える必要はあるまい。浪費で人生を台無しにする放蕩人も少なからずいるから、われわれは訓戒めいた吝嗇を説くのであるが、買い物こそが人生という本質を見失っている。浪費で自己破産するのはよくないが、しかしそれでも買い物こそが人間である。そして、その買い物の楽しさにより、QOLの向上を体感しなければならない。切れた電球を買い換えるような買い物は本当につまらない。あくまで環境世界の現状維持でしかないし、道具によって自己が拡張されていく楽しさも真新しさもないからだ。これが、蛍光灯を捨ててLEDに替えるのであれば、環境世界がバージョンアップされるのである。蛍光灯とLEDでは文字の鮮明さがまったく違う。文盲であれば変わりがないだろうが、文字を読むならLEDの方が格段に綺麗である。高い電気カミソリと安い電気カミソリでは切れ味が違うし、高ければ数分で剃り残しがないように仕上げられる。LEDや高級電気カミソリこそが、人間存在である。あるいは、実用性のない綺羅びやかな雑貨などは無駄遣いのように思えるが、小綺麗な環境世界を作れるのであればいいであろうし、精神衛生としてまったくのムダとは言えない。情報にも金は払うべきだし、最近だとwikipediaの切り貼りで済ませている人が多いが、有料の事典を買えば、それで環境世界が拡張される。WELQ(ウェルク)を読んでいるよリは、医学事典を買ったほうが環境世界が充実する。辞書とか事典とか、せいぜい数千円か、高くても一万円くらいであろうし、DeNAに文句を付けているよりは、自分で辞典・事典を買ったほうが手っ取り早いし、ネットの切り貼りとは別の環境世界を手にすることが出来る。貧困家庭の方がADHDになりやすいとされるが、やはり貧乏だと現状維持的なライフスタイルになるのも理由としてあるだろうし、死んでも金を払わないという抵抗運動をしているのだからさぞかし退屈と思われるし、暴れまわるくらいしかないのである。
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