通俗的な理解として言えば、われわれが他人を怖がるのは殺されるのを恐れるからである。
もちろんこれは間違いではない。
刑務所に入りかねないチンピラを怖がるのは当然であり、これについては論を俟たない。
たとえば関東連合に絡まれたら平謝りしておかないと、本当に殺されるケースだってあるわけだ。

だが、そういう犯罪的な事例だけに焦点を絞ると、怖い人の本質を見誤る。
また喧嘩の強さ弱さに着目しても見誤る。
喧嘩ということで言えば、泣いて許しを請う子どもがたくさんいるが、そうでない子どもが時たまいて、それが怖い人なのである。
懐柔することなど決して出来ないような目の据わり方とか、他者への蔑みの強さなど、これがわれわれには畏怖なのである。
教師から観ても、そういう子どもは怖いから尊重されるし、すぐに泣いて命乞いする子どもは馬鹿にされる。

やはり「怖さ」について考える場合に、生命の危機に矮小化するのは問題を見誤る。
こちらが生命の危機を感じているというよりは、相手が生命の危機を感じてないことがポイントである。
腕力がある方が強いという単純な話ではないし、命乞いした方が負けなのである。
学校での喧嘩で、命乞いしなかったから殺された子どもがいるかというとほとんどいないはずだから、命乞いが生命維持のための欲求という通俗的な理解はかなり疑問がある。







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