後からバレる嘘を吐く人がいるわけだ。
短絡的なのであろうし、破滅型とも言えるのだが、意外と破滅しない。
本人がそこまで計算してるとも思えないが、佐村河内のような決定的な証拠が出ない限りは、面の皮の厚さで乗り切れる。

嘘に騙された人間は、被害者というよりは共犯者なのだ。
法的には共犯者であるはずがないが、図らずも片棒を担いでしまったという負い目はある。
法的な共犯ではないにしても、悪事に加担してしまったような気まずさは確実にある。
佐村河内の設定を信じ込んで絶賛した人はさぞかしバツの悪い思いをしただろう。
善意で障がい者を過大評価したら、間抜けなことになったわけである。
怒り狂うのもみっともないから、顔を伏せるしかないのだ。

たとえばソーカル事件というのがあった。
ニューヨーク大学物理学教授のアラン・ソーカルが、フランス現代思想の数学の出鱈目さを槍玉に上げた事件である。
理工系の大学教授に徹底的にやられたのだから、すべては灰燼に帰した。
ジャック・ラカンの意味不明な文章をしたり顔で解説していた浅田彰は、ひっそりと京都大学助教授を辞することになった。
この当時に大学院生だった東浩紀などは被害者と言えるかもしれないが、しかし、共犯者としての側面が皆無とは言えないし、どちらにせよ間抜けである。
人に騙されるとはこういうことだ。
図らずも片棒を担いでしまって、間抜け面を晒すことになる。
ラカンの意味不明な文章を読んで「理解したふり」をするのは決して犯罪ではないが、法的にはともかく、やはり共犯なのである。

われわれは根源的な正しさに触れていない状態で、何らかの権威に寄りかかっていたりするから、ちょっと気を抜いたら騙されてしまう。
小保方に巻き込まれて自殺した笹井という人だって、一流の研究者ではあったようだが、ノーベル賞に手を伸ばそうとしてああいうことになったのだろう。
インテリと言えども全知全能ではないから、既知の問題より先に行こうとするなら騙されうる。

佐村河内、ソーカル事件、小保方など、インチキが明らかになった事例を列挙してみたが、決定的な証拠がないこともあるから、こうなると嘘つきはいつまでも嘘をつく。
そしてこれらは専門家が騙された事例であるが、普通の人間でも似たような話である。
専門家の方がダメージがでかいだけであり、バツの悪さは変わらない。
騙されたと気づいた人間は、片棒を担いでしまったことを恥じるから、「よくも騙しやがったな」と怒り狂うことは稀であるし、黒歴史として封印しようとするわけだ。

つまり、騙すというからわかりづらいのであり、実際は踊らせることなのである。
詐欺師は煽動家なのである。

法的に共犯でないという議論は無意味、というより、それは当たり前なのだから、やはり道義的な共犯性に注目しなければならない。
デマに踊らされて片棒を担いでしまったら、騙された被害者とは言いづらい。

この共犯性があるからこそ、嘘が露見しても、嘘つきはいつまでも嘘を吐き続けるのである。
嘘で他人を踊らせたら、そこで嘘つきの勝ちなのである。
不可逆的な勝利であるから、バレても白紙にはならない。
だからバレても嘘を反復するのだ。

法的に共犯ではないと再三書いているが、やはり、嘘つきに踊らされると、共犯になってしまったという負い目は間違いなくあるわけだ。
無関係の第三者から見ても、デマに踊らされた人は純粋な被害者には見えないし、あまりにも目が曇っていて、それ自体が罪であると思えるわけだ。
人生の汚点として染み付いたのであり、この汚れは不可逆的である。
騙された方は、汚点を拭い去れないからせいぜい黙っているくらいしかない。
嘘つきからすれば、他人を騙したことで戦果を上げたと言えるから、バレたらもう嘘はつかないということは決してないのである。







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