2017.06.12
有限/無限の無意味さ
有限と無限という対概念で考えるのが人間の癖のようなものだが、実際はこの世には有限しかないはずである。
すべては有限である。
それでも宇宙の涯ての向こうがどうなっているかという疑問が生じてくるし、無限の時間とか、そういう概念も考えたりする。
無限というのは、有限性では答えられない謎について、曖昧な名付けをしたものである。
世界のだいたいのことは三次元空間という有限性で説明できる。
この世界に無限など無いし、三次元空間の有限性がこの世界の本質であり、この有限性において人間は生きているから、有限性で用が足りているのだが、宇宙の涯てまで考えるとあれこれ綻びが生じるので、その疑問について無限という名前を付けているだけである。
三次元空間とは、つまり、空間と時間の長さが計測できる世界であるが、この計測可能性を取り払って、無限という言葉を使いたがることがあるらしい。
三次元空間が絶対に正しいとは限らないし、すべては現在であり過去は記憶にしか無いのは明白であるし、またこの空間もゲーム画面の中の世界と同じく位置情報にすぎないと考えることも可能だが、これは思考のほつれのようなものであり、無限という概念はかなり大雑把である。
到底、有限と無限が対等に並び立つことはないのであるし、有限でなければ無限という単純な話ではない。
すべては有限である。
それでも宇宙の涯ての向こうがどうなっているかという疑問が生じてくるし、無限の時間とか、そういう概念も考えたりする。
無限というのは、有限性では答えられない謎について、曖昧な名付けをしたものである。
世界のだいたいのことは三次元空間という有限性で説明できる。
この世界に無限など無いし、三次元空間の有限性がこの世界の本質であり、この有限性において人間は生きているから、有限性で用が足りているのだが、宇宙の涯てまで考えるとあれこれ綻びが生じるので、その疑問について無限という名前を付けているだけである。
三次元空間とは、つまり、空間と時間の長さが計測できる世界であるが、この計測可能性を取り払って、無限という言葉を使いたがることがあるらしい。
三次元空間が絶対に正しいとは限らないし、すべては現在であり過去は記憶にしか無いのは明白であるし、またこの空間もゲーム画面の中の世界と同じく位置情報にすぎないと考えることも可能だが、これは思考のほつれのようなものであり、無限という概念はかなり大雑把である。
到底、有限と無限が対等に並び立つことはないのであるし、有限でなければ無限という単純な話ではない。
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