有村さんの母方の祖母が亡くなったそうで、夏コミ原稿の進捗に支障をきたしてるとぼやいておられる。通夜が面倒、葬式が面倒、そういう本音を吐露しておられる。これは当たり前のことであり、赤の他人どころか、身内が死んでも悲しいわけがない。どこかの知らん人が殺されたとかどうでもいい事件について怒り狂い、「これが俺の家族だったら」と目を眇めて復讐劇を空想する阿呆がいるが、あれは家族というファンタジーに基づいた集団安全保障であり、仇討ちで共闘するということなのだろう。他人を断頭台に送りたい正義くんが復讐の理由に飢えているのだ。外敵に家族を殺されたとすれば、それは侵略であるから怒髪天を衝くし、他人を斬りたくて仕方がない剣を抜く絶好の機会となる。正義くんの実態は屍体愛好家なのだ。

普通に身内が病死や老衰で命を閉じたとなると、討ち入りする理由などないのだから、荼毘に付された軀を手持ち無沙汰で眺めるしかない。たとえば兄弟姉妹が死んだときなど、全く悲しくないのが現実である。他人に殺されたときと、普通に死んだときは話が違うのだから、そこは理解しなければならない。だいたい家族というのは親子の繋がりのことであり、それ以外は余録、もしくは邪魔者である。有村悠さんとて、ママンが亡くなったとしたら、それこそ天が割れて、ナイアガラの滝が堕ちてくるような滂沱の涙を流すに違いないし、その嗚咽は川崎市の鹿島田だけでなく、日本全土に版図を広げ、あるいは海を超えて、ユーラシア大陸や北米大陸を舐め尽くすまで響き渡るであろう。人間の生死が平等であるということはない。他人が死ねば悲しい演技をして悼むというのも儀礼ではあるが、つまるところ儀礼でしかない。儀礼が大事であるのは言うまでもなく、「おまえの家族が死んでも悲しくない」とヘラヘラ笑いながら弔問に訪れる人間がいるとすれば、正義くんから侵略行為とみなされるから、もっともらしい儀礼はしないといけないが、それだけのことである。だいたい通夜や葬式で身内だけになったら、悲しみの演技をやめて普通に歓談するわけだ。

ところで有村悠さんが現在ママンと暮らしている鹿島田の古臭いマンションの一室は、賃貸ではなく、祖父母に買ってもらったそうだ。まったく恩がないわけではあるまいし、せめて葬儀では一芝居打って泣き崩れてみせたらどうか。津田大介や川越シェフでも他人の葬儀ではそれくらいするわけだし、演技の練習にはなるだろう。







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