元の発言は見つからないが、というより、探す気力は微塵もないが、東浩紀が「自分に擦り寄ってきて、後足で砂をかけて去っていった人間は数え切れない」という趣旨の発言をしていたことがある。必ずしも宇野常寛のことだけではあるまいが、そもそも東浩紀の頭の中はジャック・ラカンの知識しかないから、誰しも教えてもらうことがない。文化人サークルへの入り口として門をたたくだけであろうし、用が済んだら立ち去るのであろう。

われわれは他人からの好意はあまり嬉しくないのである。親切な人も「ゴルフを教えてやる」とか大きなお世話であることもあるし、下心が見えたり、それに、好意はいつでも引っ込められるカードなのだ。好意の釣り針に引っかかったが最後、なにかあるたびに「失望しました」とか鉤針で抉られるし、アンチ化せずに無関心になって去ってくれればこちらの手傷が浅いという具合であるから、疑似餌に惑わされる代償は大きい。

こういううわべの好意と比べると、岩崎友宏が冨田真由さんに執着しているのは真剣そのものに思えるが、永遠の愛を誓うのは岩崎友宏のように誰からも相手にされない人間だけであろう。門前払いされた数多の経験から怨み骨髄に徹してるだけである。

相思相愛というのは、お互いのレベルが一致した状態である。そしてお誕生会で和気藹々とやるのである。何らかの事情でランクが落ちたとすれば、お誕生会に呼ばれなくなる。もしくはその主役が落ちぶれたら、お誕生会が寒々しく閑散とする。相思相愛は美しいように見えるし、ランクの高い人間が転落するのはそう頻繁にはないので、破綻することも少ないが、とはいえ、頻度は低いにせよ、転落することも時たまあるので、相思相愛の無慈悲が顕わになる光景に出くわすわけだ。恋愛の相思相愛にしても、美男美女は頻繁にくっついたり離れたりしているのである。

このように取り留めもなく語った文章において、最後に筆者のスタンスを記すことで体裁を整えた方が論考としては据わりがいいし、文章の骨組みとして可読性が上がるのであろうが、ただあるがままに空疎なお誕生会があり、門前払いされたり、素知らぬ顔で侵入してくる輩がいるというだけなのである。

物事の重大性から言えば、冨田真由さんを滅多刺しにした岩崎友宏こそ最悪であり、「東浩紀さんのファンです」と言って敷居をまたいで、一通り用が済んだらあれは嘘だったと去っていく宇野常寛のほうがまだマシであると言うのが常識的は妥当であろう。獄舎につながれる囚徒でさえ、量刑の違いがあるわけである。囚人服を着ているから全員が同一というわけではない。

だいたい好意とか愛は胡散臭く、そう気安く受け取るべきではない。もしくはアバンチュールとして楽しんでもいいのだし、津田大介が近づいてきたら大喜びで乱痴気騒ぎして翌朝はゴミ箱に投げ捨てられる女もたくさんいるわけだ。いずれにせよ、すべての好意については見極めが必要なのである。







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