現在はるかぜがやっている舞台で、仄聞するには、どうも原作の許諾をきちんと得ていないという疑義が生じており、まだ事態が明確にはなってないので詳細は差し控えるが、二年ほど前も、オーケストラで「進撃の巨人」をやると告知して、はるかぜが司会になったが、許可が取れないから直前で曲目が差し替えられる出来事もあった。いわゆる類友の法則であるが、あの親子が友誼を結ぶとなると、どうしても事実や現実への検疫が大雑把な人たちと気脈が通じるようになるらしい。今回の件の真相は判然としないにしても、きちんと許諾を取った上で舞台を行うしっかりとした姿勢がないのであろう。

われわれはダメージ計算をしながら生きているはずである。これは予見可能であるから、行動とリスクは考えることができる。六弦の親指ミュートが難しくてエレキギターが弾けないならミュートは怠ってもいいだろうし、ミスピックしてもたいしたことはない。演奏をやめるよりはとりあえず弾いてみた方がいい。だが、たとえば何かの作業をするとして、ミスをしたら大事故になるならやらないであろう。まさにケースバイケースであり、それぞれのダメージ計算を事前に行う賢明さの問題である。予測されるダメージに合わせてやったりやらなかったりする現実的判断である。

あるいは、そのようなダメージの予見を超越した、確実な失敗というのもある。いわば破産の前夜祭、残りの財産を使い果たすべく派手な夜会服を身に纏い、最後の晩餐の饗宴に耽り、酩酊で歪んだ世界を眺めながら、おぼつかない千鳥足でダンスを踊るファンタジーな愚か者である。はるかぜ(娘)はあと一年半で高校(通信制)を卒業するわけである。卒業できないかもしれないが、どちらにせよ年齢的に子ども枠ではなくなる。予見性の麻痺と言えるメンタリティが、まぐれ当たりを生み出すこともあろうし、軽業師のように地雷を回避し、破滅に邂逅することなく天寿を全うする人だっているのだが、18歳からはるかぜがスーパースターとして活躍することはなさそうだし、これはただ先延ばしするだけのモラトリアム問題である。はるかぜ親子の話だけではあるまい。現実逃避のために予見性を麻痺させるのは、知力がある人でもやってしまうことがあるし、精神的な弱さ、あるいは気位の高さ、自尊心の傷痕、そのように病める心が、人生の耐え難さをファンタジーで誤魔化そうとするのである。







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