おそらくわれわれは、尊敬されたいという感情はたいして持ってないのである。
他人から侮辱されたら激しい怒りを抱くが、尊敬されたいという感情はそんなに強くない。
何が言いたいかというと、実は尊敬されたいのではなく、侮辱されたくないから、そのために、尊敬されておくと手っ取り早いというだけなのである。

侮辱されてから怒っても遅いので、われわれは先制攻撃として他人を威嚇したり、偉そうにしたり、あるいは一目置かれるような人間になろうとしている。
尊敬されたいという気持ちもあるだろうけど、侮辱への激しい怒りに比べたら、ささやかなものである。

こうやって考えると、人間の実態がなぜこうなのか、だいたい理解できる。
「侮辱されたくない」と「尊敬されたい」を明確に区別するとしたら、侮辱されたくないのが人間の根源的な欲求であり、尊敬されたいというのは付録である。

侮辱には実害があり、誰かから馬鹿にされると、同調者が次々と現れる。
端的にはいじめというものである。
リンチで死んだり後遺症を負うことだってないとは言えない。
だから、ありもしない幻想を恐れているのではないし、明白な実害を避けたい感情である。

尊敬と侮辱は対概念であるという前提で筆を進めてきたが、これも判然としないし、実はあまり関係がないかもしれないのである。
侮辱への恐怖が巨大な問題であり、尊敬という概念が付け足しのように出てきているだけである。

「怖がられる」のが尊敬されるのとほとんど同じであるのも、そういうことだろう。
侮辱されない状態として同一だからである。
怖がられるなら満足なのである。
キモオタに対して「あいつは怖い」と煽ったりする場合もあるが、山口組や稲川会の組員に対してそんなことは決してやらない。
本気で怖がるのは尊敬である。
ヤクザを怖がるのと天皇を崇拝するのはまったく違うように見えて、畏怖という点では同じである。
なぜ同じなのかというと、ここまで述べてきたように、われわれは侮辱を非常に恐れており、尊敬はさして望んでないからである。
侮辱されない保証があるなら、尊敬されなくてもまったく困らない。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング