やはり学校というシステムが普及しているのは「選んでない相手」と仲間になるのが人間の本質だからであろう。そもそも家族を選んでいるわけではないのだから、クラスメートも同じ話というだけだ。おそらく自分で選ぶというのは変な話であり、血縁もないのに兄弟や姉妹を名乗る疑似家族はヤクザの世界で頻繁に見られるものである。たいていの人はヤクザではないから疑似兄弟や疑似姉妹は作らない。配偶者を選ぶのは自由選択だが、いずれ子供ができれば、選んだ覚えがない家族関係が出来上がる。

ともかく人間関係を選べない、もしくは選ばないのが人間社会の本質なのである。同じ集団に帰属していても、誰かを避けたりすることもあるが、そうやって避けるのもコミュニケーションのひとつであり、もしくは逃げようがないこともあり、あるいは逆に悪意をもってハブることもあるわけだ。

こうやってインターネットが普及しても「疑似家族」までいかないし、SNSもリアルの関係の延長なのは、それなりの理由があるのだろう。ごく普通に共通の趣味などの取っ掛かりで、ネットでリア友を作る人もいるが、わりと少数派であるし、そもそも現実の附録という程度の付き合いであろう。

なぜヤクザしか疑似家族を作らないのかというと、信頼があるからには、それを裏切ったときの処罰が必要であり、その血腥い結末まで考えると、やはりヤクザ的発想となるのだ。

家族とかクラスメートは、つまり、合法組織への帰属であり、法的な信頼性があるということもできる。個々人の信頼の積み重ねではなく、社会組織そのものへの信用である。そのような義務的な縛りのない人間関係をわれわれはさほど望んでないのである。現実の人間に対して「選んだつもりはない」と嘆いたりするが、ネットで募集して自由に選んだら理想世界になるわけでもないのだ。ヤクザのリンチと一般人のパワハラにさほど径庭があるとは思えないが、日本刀や拳銃を持ち出すよりは穏当なのであろう。だからわれわれは法の支配に基づいた組織に帰依することを望んでいる。

普通の人がとりあえず合法的な組織を立ち上げるとなると会社設立というものがあるし、たとえば西村博之さんと山本一郎さんという聖人は、ネットで出会って一緒に会社を作ったわけである。一時期は一緒に住んでいたし、これはやはり、お二人が徳操の高い貴人であり、釈迦とキリストが握手した格好だからである。西村博之さんや山本一郎さんのように高潔で立派な人格者だけとは限らないから、ネットでよく知らない人とは関わりたくないとわれわれは考えており、愚痴を言いながらも、現実のしがらみに縛られることを不承不承認めているのである。







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