2017.11.26
面と向かって文句は言わない
嘘と言ってもいろいろあるが、病的な虚言と正常な社交辞令には明々白々たる違いがある。やはり本当のことを言うと差し障りがあるから、欺瞞やお世辞で戯れるのも人間に必要なことである。このやむを得ない嘘については、大半の人が不承不承認めているのである。正常人の正常さにより問題が看過され、大企業勤務の正常人が不正行為をする奇妙な現象も発生するが、やはり不行跡を糾すべく「急所」を突くのは赫奕たる紛れもないキチガイしかやらない。なぜ正常人はおかしいと思いながらも見て見ぬふりをするのかということだが、まずは社会性の本能だと言うしかない。本能に説明は不要、というより、説明されなくてもわかる機能が本能であり、われわれの日常的な行動について「なぜ知ってる人に挨拶をするのか」とか「なぜ知らない人に話しかけるのはおかしいのか」とか、説明するのも容易ではない。だから、社会制度の可笑しさに正常人が沈黙するのも、彼らなりに社会的本能に照らして腑に落ちてるのであろう。必ずしも権力への畏怖だけではなく、そもそも端から見てキチガイ枠であるから、面と向かっては言わないのである。間接民主制に辿り着くのも、どこかでワンクッション置いて文句を言うという関わり方が社会本能だからである。生々しい凶相で食って掛かるのではなく、制度的な対処をしようとする。それでも対処できなければ放置するのみであるが、あえて理屈で説明するとしたら、社会にあるからには必要悪という認識なのであろう。たとえば弱者が虐げられる場面を見れば制度がおかしいと思うわけだが、しかし、そうかと言って弱者を守るとなれば変な弱者利権が出来上がる。社会の本質は命令系統であり、その圏外から「急所」を突かれたら困る、もしくは弱者や敗者が立派な人というわけでもないので、正論を言い立てるのは場違いとも言える。腐敗があっても、人間そのものがだいたいそのレベルである。弱者だって腐敗する。正常な人はそのあたりが呑み込めている。不正や腐敗に塗れた連中を面罵したところで、人類がレベルアップするわけでもないし、やはり社会の制度には一長一短があり、マイナス面だけ見て怒り狂うのはキチガイなのだろう。キチガイの言い分は局所的には正しいはずなのだが、それが社会的にキチガイとされるのは、不正やルール違反も必要悪なのである。正常人が、必要悪の必要性について具眼者として深い洞察をしているわけではあるまいし、纏綿たる事情を紐解くことなく、迂闊に触るまいというかなり端折った本能的な結論で終わらせている。曲がっているなら曲がっているだけの理由があるのだろうし、何でもかんでも真っ直ぐにするのはよくないと正常人の本能に書き込まれているのだろうし、ここは天国ではないので、囚人が囚人を管理していると思えば、間違いを正したとしても地獄草紙の絵面が少し変わるだけのことだし、別の悪疫が蔓延するだけだから、とりあえず必要悪と考えて黙過するのは理屈にも合っているのである。
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