万引きは犯罪であるが、犯罪者ではないというか、グレーゾーンに位置づけられている。他人の家に忍び込む泥棒と別枠であると人々が考えているのだから致し方あるまい。レトリックとして「万引きと泥棒は同じ」と言うのは簡単だし、そういう言い回しはよく聞くのだが、本当に実践されることはない。
つまり犯罪者に見せしめとして烙印を押す一般予防の問題として、空き巣に烙印を押すのは差し支えないが、万引きで烙印を押すのは酷だと世間的に考えられているのである。

これは万引きは未成年のやることだという固定観念もあるだろう。このところ若者より大人の方がマナーが悪いという奇妙な現象もあるし、見るからに凶暴そうな若者は見かけなくなった。繁華街で愚連隊を目にすることもない。未成年が通過儀礼として万引きをする悪習も廃れつつあるようだ。つまり若者の万引き離れである。とはいえ、わたしが自分で厳密に検証したわけではないが、まだ人口比では未成年の方が多いようであるし、万引きは未成年という固定観念が間違いというわけではあるまい。とりあえずこの拙稿においては、ベビーブーム世代と少子化世代の比較検討については筆を走らせず、万引きは未成年という固定観念を前提としておく。万引き犯を撮影した監視カメラの映像の公開をすると警察が阻止しにくるのも、そういうことであろう。

この世には自力救済の禁止という原則があり、これが厄介である。自らの力で犯罪者を捕まえに行くことは求められていないし、力づくで原状回復をさせるとなれば、それこそ犯罪になりかねない。
その一方で、内輪の関係なら自治(自力救済)に委ねられているから、またさらに厄介である。そしてその自治(自力救済)についてだが、その内輪のカーストに従った解決でなければならない。カーストの低い中学生が校内でカツアゲされたとして、それに報復するべく強者を背中から攻撃したら、中学生でもキチガイ枠になる。
この複雑さを人々が先天的に理解しているのはまさに本能と言うしかないし、世渡りの能力は別として、カースト自体はコミュ障でもわかっている。

世の中は何が何でも正義を貫くようにはできていないし、個人的な正義は芽を摘んでおくことになっている。正義と悪の匙加減というか、世の中の清濁併せ呑むグレーゾーンの象徴的な行為が万引きなのであろう。なんとなくこれを認めてしまう、もしくは捕まっても烙印は押さないということである。若者の万引き離れの傾向がさらに進むなら、また話は違うのであろうが、命をもって脈打つ世界を死灰にするような過剰な正義を持ってはいけないので、俗悪な生々しさを認めるためにも、万引きに怒らない生温さが求められている。







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