2017.12.26
人格障害者は強盗
人格障害者は理性を保持した状態なのだが、合理的理性は失っている。空想は快楽であるが現実の刺激には及ばないし、どこかで醒めてしまうから、射精後の虚ろな冷静さが仮初めの理性を作り出すだけである。空想で満ち足りるなら、その桃源郷から戻ってくることはあるまいが、やはり空想では満腹になれないので、邪悪な窮民として現実に手を伸ばしてくるのである。現実と空想の区別が付いているというより、空想で腹は膨れないだけであり、涎を垂らし飢えにまかせて餌食となるターゲットを現実の界隈まで探しにくる。人格障害者にタゲられると厄介なのも、彼らは本質的に空想の囚徒だからであるし、現実を食べようとして地下牢から出てくるのだが、現実に適応しようという気はまったくないからである。空想家を卒業して現実世界に帰還する姿勢ではなく、現実を都合よくつまみ食いしようとするからである。賞品や賞金だけ奪い取る発想だからタゲるのだし、これは強盗のメンタリティである。その典型である有村悠さんが刑法犯として強盗を実行したかというとしてないし、あくまで美人東大生への告白とか金の無心とか、つまり空想世界で腹をすかして現実に物乞いしているだけだが、これはわれわれを不安にさせるものである。有村悠さんは高卒なのに東大卒に憧れているわけだが、決して東大で学びたいのではない。現実の試合には出ないのにバロンドールが欲しいということなのだ。空想的な世界観だから、瞬間的に東大卒になれるらしい。金メダルでもノーベル賞でも瞬間的に取れるし、そこに至るプロセスに関心は持っていない。こう考えてみると、やはり人格障害者に合理的理性はない。鹿島田のゴミ屋敷は金や女や立身栄達を空想で積み上げた大伽藍とも言えるが、精液の残滓が瘴気を漂わせているだけであるし、やはり現実の女やお金や東大卒の学歴が欲しくなるのだろう。そして、現実の試合に参加する気がまったくないのに、欲しいものを無心する叫びを現実に向けて発して、絵が上手い人と友達になろうとか、東大卒と友達になろうとするのだが、優れた人間と知遇を得ることで自らが達成した図式にしたいのであろうし、賞金や賞品だけが目当てという人格障害的な浅ましさは見抜かれているので、タゲられたら誰もが這々の体で逃げ出すのである。
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