目上の人というのが厄介なのは、たとえば先輩だから優れているわけではないということだ。つまり、上下関係とはスペックの序列ではない。性能が高いから偉いと言うわけではないが、出来損ないが空威張りするのは尚更不可解である。
毒親うんたらの話も、社会的な文脈としては過去というか、フロイト心理学の名残りであろうし、昨今は親の性能がシビアに見られるようにもなっている。毒親という言葉は死語ではないが、フロイト全盛期なら愛情の純粋性(親のエゴ)が問われていたはずで、今は親が出来損ないという問題を問う方向に変化している。

サンプルをたくさん取って均らせば遺伝は比例的であるはずだが、実際は同じ両親から生まれた兄弟姉妹でも性能にはバラツキがある。亀田一家のようにそっくりさんの集まりなら葛藤は少なそうだが、そうでないとすると、親の出来の悪さが耐え難いこともあるだろう。愛情の話ではなく、亀田史郎の出来の悪さ自体が耐え難いということもある。
とはいえ、社会性のある利発な子どもであれば、そういう親でもうまくおだててコントロールするかもしれないし、真正面から激突するばかりではあるまい。

結局のところ目上の人が出来損ないという難儀さを解決できないのは、相手の自己愛を守ってあげる余裕がないのである。
お世辞など要するに偽札なのでいくらでも輪転機を回せる。自らの財布が傷むわけではあるまいから、出し惜しみする必要はない、というのが実利的な処世訓であろう。
そのような利口さを持ってないのは、ひとつの有徳性でもあるのだが、ともかくお世辞を大量発行する手段があるわけだ。偽札で他人の心を買う悪趣味として愉しむのも可能ではあるだろう。
親が長男長女にロックオンしていると、放任されてる次男次女がお世辞を言う立ち位置になりがちだし、密着度が高いとお世辞を言いづらいという現実もあるのだが、ともかく偽札なのだから惜しむことはないのである。







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