周辺視野が求められる時代である。昔であれば不合理な儀式を有無を言わさずやらされてたが、今はかなり柔軟に対応することが求められている。頑固であるのはまったく長所ではなくなった。周辺視野とは要するに「視野が狭い」とか「視野が広い」という古典的な物言いと同じ文脈の問題であるが、焦点を絞り込んだところしか見えてないのはこの時代においてはかなり重篤な障害である。

さて、こう考えると正面視野というのもあるはずだが、これが意外と判然としない。たとえばパソコンの15インチのディスプレイが隅から隅まで見えている人はあまりいないであろうし、あるいは10インチのタブレットや5インチのスマホでもずいぶん見落としがある。そもそも5インチの画面に書いてある文字が瞬間的に読めるならずいぶん速読の力があるだろうし、われわれにとって「正面」とは何ぞやという課題である。

あるいはもう少し単純に目の前のボールペンを見ているとする。この時にそのボールペンのメーカーや商品名までは把握してないことは多々ある。あくまでボールペンとして見ており、そこに記されているメーカーの名前までは見てなかったりする。もちろん文房具マニアというのがいるとして、真っ先にメーカーに着目するなら別だが、そこへの興味が皆無だと見落としてしまう。ボールペンが正面にあっても、メーカー名は周辺とも言えるのだ。おそらく視野が広い人は重要でないものも素直に見ているので、なんとなくメーカー名まで見ているかもしれない。自閉だとまず頭の中に観念があり、それに照らし合わせているから見てない。つまり頭でっかちなのである。重要でないところも見ているのは知性として無駄であるように思えるし、だからこそ焦点を絞り込んでそこだけを見る自閉も生き残ってきたのだろうが、自閉的に世界を認識するのは社会性においては大きな欠陥であり、自由社会で淘汰されるのは論を俟たない。







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