2018.03.08
なぜデマを恐れるのか
ひとびとは決して噂を盲信してるわけではない。噂、もしくはゴシップは娯楽であり、ただ単に楽しんでいる。「信じる」と言っても、怪談噺というか、ネッシーや雪男と大差ない。頭の悪さというのは簡単だが、それだけの問題ではあるまい。娯楽として楽しいなら信じるということもある。たとえばhydeが156センチという噂も、盲信しているわけではなく、むしろ誇張して楽しんでいたわけだ。根も葉もない噂について著名人が「釈明」させられるのも奇妙なのだが、社会はそういうものなのである。釈明してしまう、もしくは「頼むから信じないでくれ」と懇願してしまうのは、やはり自分の噂がおもちゃにされる不安なのだろう。hydeでさえこの問題をスルーできなかった。身長の高低は白日の下に晒されているが、数センチにプライドが掛かっている。おそらくだいたいの人はhydeは160センチ前後だと推定していて、だからこそ愉快犯的に156センチだと騒ぎ立てていたのだ。デマを流された被害者が釈明するという病理は、そもそもマスゴミの飛ばし記事を他社が後追いするのもそうであるからネット特有だとは言えないし、あるいは、近所とか学校とか会社などの閉じた関係でも頻繁に起こることである。噂を流すという嫌がらせは売春婦と同じくらいに歴史が古い。噂話に誰もが喜々として喉を鳴らすわけではないし、好物ではないという人もいるだろうが、見て見ぬふりをしているだけとも言えるし、怪しいものから遠ざかる防衛本能であろう。伝聞によって世界情報は作られているので、虚々実々の血腥い世俗に関与しないことはあり得ないし、好奇の目で他人を翫ぶ悪趣味よりは、見なかった聞かなかったという人の方がマシというだけである。自分のプライバシーを隠したい、他人のプライバシーを知りたいというせめぎ合いが社会であり、公益性の問題もあるから、憶測で物事を探るのが悪いとも言いきれない。人倫にもとる経歴詐称をする詐欺師がいるだけでなく、見栄を張るくらいは正常な凡人でもやる。嘘付きと嘘付きが干戈を交えている。サバ読み的な嘘なら多くの人がついてるし、なんとなく容認されてるから、つまり事実誤認は許せないという単純な話ではない。虚像として美化するのはいいが、毀損するのは許せないというのだから、嘘そのものが駄目ということはないし、むしろ逆なのである。人間は本質的に虚像である、という言い方だって可能だ。真っ当な取材行為と、他人をおもちゃにする行為を区別するのは可能であるけれども、どちらにせよ事実はタブーなのである。
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