なぜこの世の中で他人はなかなか説明してくれないのかと言うと、やはりわれわれは自明性に基づいて生きているからである。当たり前だから当たり前ということである。その自明性より先の究極の理由はわからない。当たり前のことを説明しようとすると、逆に疑問が増えてしまう。社会の裏表のわかる人がいろいろと察しているとしても、それは状況に適応しているだけである。「説明」と「適応」は対概念と言ってもいいのである。多数の人が自明性で納得していることについて「説明」を求めると殴られることもあるが、説明がなければ納得しないという姿勢が反抗的だからだろう。説明と納得はセットであり、説明しても相手が納得しないとなれば不愉快だから説明しないのである。たとえばなぜ複式簿記を付けてるのかわからずにやってる人もいるわけだ。深く考えてもわからないから、規則通りに記録しているわけである。つまりルールはルールという社会的自明性だが、これについて、もう少し納得のいく説明することもできる。お金には種類があるから複式簿記にするしかない、ということである。目の前に百万円あるとして、純粋な持ち金と借入金では別扱いにする必要がある。一万円の商品が売れたとして、その一万円の売上は現金とは限らないし、売掛金や受取手形だったりする。手形を不渡りにすると大変だから、相手も掛金よりは手形を優先して払うのだし、ともかく種類が違うのである。何も考えずに複式簿記を付けるのも可能だが「お金には種類がある」と説明してもらえれば、複式簿記にして分類する理由がわかる。説明されて納得するまでは梃子でも動かないというのでは困るし、だからルールはルールという素直さが必要であるし、理由がわからなくても複式簿記で付ける姿勢も大事だが、こういう素直な人は深く考えてないという側面もあるわけだ。







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