たとえばボケ老人が「あれが必要」と言ったとして、たいていは意味不明であるはずだ。ボケ老人には見当識がないので「あれ」として指し示す前提の世界を他人と共有してないからである。これがしっかりした人間同士であれば「あれが必要」で話が通じることが多いであろう。見当識を共有しているので、だいたいわかるわけである。物事をいちいち説明しないのも同様であり、見当識によって同じ世界を見てるから、説明は省いてもいいのである。ひとつの言葉で多数の人が同じ表象を浮かべるのでなければならない。細部まで逐一言葉にするとむしろ現象の輪郭をなぞれないこともあり、書き損じの片言隻句に引き摺られて現実が歪む。見当識とはなんぞやといえば、とりあえず地球人類が共通に持っている規格なのであろうし、宇宙人とはまったく異なるだろうから、宇宙のすべてで通用する真理ではないのだが、人間的真実としては確実にあるのである。その見当識がしっかりしている状態で「あれ」と言えばわかるし、もしくは「あれ」と言う必要さえないのだが、ボケ老人とか若年性痴呆とか発達障害者だとそれが不充分である。見当識を持つためには周囲の状況をよく見ている必要がある。ボケ老人とは対極の高い知能の持ち主が宇宙人と呼ばれることもある。そもそもなぜ四六時中他人を観察せねばならんのだという疑問もあるだろうし、そういう世渡り能力が疎んじられていた時代もあるが、第三次産業では周囲への視野の広さが必須であり、そこに重点が置かれるのは致し方あるまい。だいたい内面世界なる小宇宙は現実の残滓であり、この残飯は腐臭を放つ前に焼いて根絶やしにしなければならない。これをゴミ屋敷のように溜め込んでしまうのは、やはり地球世界の見当識が足りてないのだし、自閉圏を苗床として繁茂する厭わしい世界は結局のところ狭い視野で都合のいい現実を見た妄想なのだから、頭の中でバロンドールに輝いたりするよりは、自らの肉体周辺の状況を察するべきだろう。







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