巣鴨プリズンに入った戦犯が規則正しい読書生活を送ることで、衰えるどころかむしろ自らを深めて戻ってきた事例も少なくない。刑務所だとまた違うのかもしれないが、拘置所というのは道元禅師が推奨している生活態度と似通っているようにも思える。たとえば有村悠さんなどは、東大を不登校になってから、それこそ臨済宗の型破りな禅僧のようにして、あちこちに難癖をつけていたわけである。大好きな東大から徒歩五分のところに住みながら、おうちから出られなくなったのだから、あたかも囚徒であるかのようにも見えるが、坐禅のようにきちんと坐っていたわけではない。おもちゃを買ってもらえなかった子供のように床でゴロゴロしていたのである。坐るのとゴロゴロするのは対極であり、坐るというのはそれなりに背筋を伸ばし明晰な意識を持っているのである。有村悠さんが小学校低学年の頃は授業中に多動しながら歩き回って女子をなぐったり、椅子に座るとなると教師に殴られていたようだが、やはり背筋がきちんとしてないと座ったことにはならない。座っているのに座っていないという謎掛けだが、やはりきちんと座ってこそ本当に座ったと言える。椅子の上に軟体動物が蠢いている風情では、本当に座ったとは言えない。拘置所で読書が捗るのは誘惑が少ないという理由が大きいだろうが、読書をするために拘置所に入るわけにもいかないし、これはつまり「気が散る」のを別の方法でなくさなければならない。あちこちに散乱している好奇心の対象はそれなりの重力を持っていてわれわれの煩悩を引き寄せようとするが、その誘蛾灯のような綺羅びやかさに惑わされない無我の境地があるかどうかである。道元禅師は公案を軽視していると言っても過言ではない。もちろん露骨に軽んじているわけではないし、批判しているわけでもないし、丁重に扱ってはいるが、まったく重視してないのである。臨済宗がいわゆる禅問答で極論を吹っ掛けていくものであるとすれば、道元禅師(曹洞宗)は只管打坐を説く。ただ単に坐るだけである。道元禅師は当時としては屈指の権力者であった源通親の六男とされる。母親は木曾義仲が源平合戦で敗北したときの女だったとされる。この母親は藤原基房の娘なので、おそらく慈円や九条兼実と血縁関係もあるはず。ともかく道元禅師はかなり有名所の血筋なのではあるが、幼少期に父親の源通親が死去したこともあり、出家の道を選んでいる。道元が変わり者であるというエピソードは皆無であるし、無法者が自己克服したわけではないから、育ちの問題もあるだろう。だが育ちがよくてきちんとしていて、それだけという人が大半である。道元禅師が突出した偉人である所以は、まだわたしの理解では足りないが、きちんとしてるほうが諸法実相を理解できるという賢者の直感に思える。変わり者としてあちこちに激突していくことで得られるものもあろうが、所作をきちんとすることによって人間理解が深まることもある。つまるところ、くだらない誘惑を断ち切るのにどうすればいいかということだが、背筋を伸ばしてきちんと坐るという方法があり、これは型に嵌まるというよりは、物事を見極めて俗世間を睥睨することなのである。







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