2018.04.20
暴言で世界を変える
他人が審査員というのが現実の根幹であり、われわれはその審査員たる立場を利用して他人に高い点数を付けることも出来るし、露骨に低い点数を付けて名誉毀損になることもあれば、ブスをブスと正確に言うことで「事実でも名誉毀損」となったりする。物事は好意的な評価もできるし、悪意のある評価もできるし、われわれ審査員も情実や野次馬根性で掌返しを繰り返すのである。60点くらいのものに90点を付けるのはわりと喜ばれるし、寸毫たりとも名誉毀損ではない。他人に低い評価をするのはリアルの人間関係だといわゆる暴力的なマウントであるし、それに比べたらおべんちゃらの方がいいということらしい。お世辞にもいろいろあり、言われる側も本気にしてない社交辞令もあれば、悪魔的に心を掴んだというものもある。お世辞に攻略されて大金を騙し取られることもあるだろうし、もしくはイエスマンだけ取り巻きに従えて御本人が愉快というのは腐敗に付きものである。ともかくわれわれは他者評価に関してかなり悪質な審査員であり、人間が政治的動物たる所以でもある。「事実でも名誉毀損」という論法があるからには、ブスはブスという公平な評価も人間は望んでいないのだろうし、自分を美化したい業病は人類普遍のものらしい。このところ著名人がゴシップに難癖をつける風景がよく見られるが、ナタリーの提灯記事が版図を広げ人々の心を蚕食していくのは構わないらしい。軽はずみな口吻は誰からも顰蹙を買うし、ブスにブスだと平気で言う人でも顔に火傷のある人を見たら黙り込むであろうから、何かしら思想的決断の問題でもあるし、言うと言わないとでは顔の火傷の意味合いが違ってくるというか、火傷の事実は明々白々でも、言葉を発してそこに焦点を合わせるのは、ひとびとが気付かないふりをしている火傷を抉り出すことであるし、世界認識を一変させるものである。たとえばかつて左翼のフェミニストは男性のハゲをことさらに嘲笑していたが、ハゲはハゲとしても、それをわざわざ言うことで古めかしい男性の威厳を崩壊させようとしたのであろう。暴言とはテロルであり、それを無血革命と礼賛することもできようが、言及されないことで尊厳が守られるのであれば、わざわざ口に出すのは万死に値するとも言える。物事を総花的に褒めておけば普通に生きていくのに無難ではあろうが、とはいえ、それに耐えられないのも人間であり、故意に耳目を集めるべく言葉という刃物を他人に向けることもある。見て見ぬふりをするのが良いか悪いかという判断であるから、思想的に紙一重のものであるし、そのようなタブーに触れるのは政治犯なのである。
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