同一性の問題は時間の経過を問うていることが多く、十年前の自分と本当に同一人物かという疑問が典型だが、ここではそういうアプローチではなく、時間の流れとは別問題として、同一性とは何かという話である。アスペルガー症候群のこだわりは最近よく知られるようになったが、たとえば「この本」でなければ駄目だというのである。その本が十万部刷られているとして、常識的にはその十万部すべては同じ本のはずである。だがアスペルガー症候群にとっては十万部それぞれがオンリーワンであるらしく、自らが愛着を持った「この本」にこだわり、同じ本を買い与えても「同じ本ではない」と言い張るのである。これは普通の感覚と違うから障害者とされる。とはいえ行政が区画整理をして道路を広くしたいと考えたとして「この家」にこだわって立ち退きに抵抗する人は健常者でも有り得る。同等の価値のある物件もしくは金銭を提示しても、自分の家には愛着があり、市場価格が同一ならいいというものではない。「この本」に固執して同じ本を拒絶するのが障害者であるなら、「この家」へのこだわりも自閉症疑惑が持たれてよさそうだが、同価格の物件というのでは近場であっても同一とは言えないし、いわゆる交換可能性の話である。一万年くらい前から人類が定住するようになったことで文明が生まれたとも言えるし、とりあえず棲家を変えないのが健常者の感覚なのであろう。とはいえよくあるライフスタイルの問題として、引っ越しが好きな人もいれば嫌う人もいる。社交的だと気軽に引っ越すわけではなかろうが、環境の変化を好む人だっているわけだ。つまるところ社会的に流動性が求められているかどうかなのである。何かしら社会的流動性が生じたときに変化に対応できないと障害者扱いなのである。パートナーなど交換可能だから「その相手」でなければならないということはないので、愛妻家は陋習に囚われた頑迷な人間と言えないこともないが、それは屁理屈と扱われるだろうし、唯一無二という感覚がすべて削がれたわけではないが、全般的には代替品を受容できる方が健全だとされる。おそらくこの拙稿に結論を附する必要はあるまいが、モノを交換するのと人間を交換するのはさほど径庭がないのかもしれないし、愛妻家とは逆に、ゴミを捨てるようにして人間を捨てる人だっている。加計孝太郎は長年連れ添った妻と離婚して二十歳年下の美人と再婚したが、お友達の安倍晋三は安倍昭恵と別れそうにないし、あれだけ深く友誼を結んだ人間同士でも価値観が異なるのだから、これはなんとも言えない。







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