われわれは世界に没入して存在しているのだが、没入するというと没入以前の自分があったというイメージになるから語弊がある。われわれは泥土のような土くれから生まれてネズミ講のように繁殖し、破産たる死を迎えるが、そのすべてはこの穢土における輪廻である。宇宙の真理を体現する一輪挿しのようなものではなく、輪転機に刷られて紙屑として舞い散るボウフラが個々のプライドを持っているのは莫迦げているが、そもそもこの天の川銀河のどこにも、もしくはアンドロメダ銀河にもプライド自体はないだろうから、この地球上のボウフラの特権的な機能なのである。ともかく自我の強さという奇妙な現象が地球上にはある。何を言われても頑なに拒絶するのは発達障害者だと思われているが、おそらく他人に指摘されるのを嫌うのは人類普遍であるし、むしろ正常人の特徴である。自閉症が何かしらこだわりをもっているとしたら、それは治せないのである。もはや物理的に灰燼に帰しており手の施しようがない。それに対して健常者は人から言葉で指摘されること自体を嫌うのである。直すのは簡単でも、指摘されたからこそ直さないこともあるのだ。間違いを認めるとマウントを取られるので、自分が正しいと言い張るのだろうが、ともかく思慮深さによるものではなくただの本能である。健常者はこの地球世界に馴染んでおり、あらゆることを自明だと思っているから、その自明性の原理に従い、説明は端折ることにしている。言葉に出すというのはひとつの政争であり、戦端を開くことであるから、ひとびとは他人の問題点を露骨に指摘しないように気を付けている。そもそも問題点というのも流動的であり、たとえば既婚者の不貞行為が絶対悪かというと、一昔前はそうでもなかった。飲酒運転は現在は厳罰化されているが、半世紀前なら酒を飲んで車を運転するのはただの交通違反であり冗談で済んだ。不倫は悪い、飲酒運転は悪いという常識的な正邪はあるものの、その罪の軽重は変動する。人倫の課題は政治的であり、罰を与えて懲らしめようという攻撃的な意図はある。発達障害者は正義感を持ちやすく、また言葉に出してしまうタブーを意に介してないから、他人のあれこれを指摘して怒りを買うのである。指摘する能力が高いというよりは、言葉で説明して辛うじて世界を理解しているからそうなるのである。あるいは、自分の思い付いた方法でやりたいというのは自閉的だが、これは政治的動物たる健常者にも見られる。成功者が他人に口を挟ませず成功体験に囚われて迷走する光景は絶えることがない。他人から改善策を示されてああそうだと納得する人間ばかりではない。途方に暮れて改善策を探している状態もあるわけで、そこに卓抜な方法を提案すれば感謝されるであろうが、他人が解決策を求めているのかどうか空気を読まなければならない。無知蒙昧な愚衆からゴミのような解決策を提案されてうんざりということもあろうしなんとも言えないが、ともかく自分が思い付いた方法でやりたいというのは障害者特有ではないし人間そのものなのである。







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