なぜこういうタイトルを付けたかというと、犬と猫の区別は付くという問題、そして犬は犬だし、猫は猫であり、すべての犬は交換可能とか、すべての猫は交換可能とも言えるが、ひとつひとつの個体がオンリーワンであるという側面もあり、しかし流石にコカ・コーラのペットボトルが並んでいれば、ひとつひとつに個性を見出す必要もない、ということである。コカ・コーラの一本一本になぜ個性を見出さないのかというと、まずは大量生産されているクローンで同一性が高いからであろう。では職人が作ったタンスならどうなのかというと、個性があると言えば言えるし、すべてのタンスは同じということもできる。何にせよ何が言いたいのかというと、言葉があるからには大差がないということなのである。大差がないから言葉で括れるのである。美人という言葉があるとして、それなりに好みの幅はあるのだが、素朴な性欲の問題としてだいたい一括りにできるし、大差はないのである。あまり好みのタイプではなくても美人なら抱きたいはずなのである。美人なら何でも食べられるのが男であり、だから美人に大差はない。この大差の無さは個性尊重という観点からすれば由々しき問題だが、そもそも同じ種類のものとして普通名詞で括れるからこそ、他人とのコミュニケーションが成り立つ。こう考えると、やはり言葉の基本は普通名詞であり、その一方で個体識別の必要もあるから固有名詞も使うのであろう。すべてが固有だとしたらそれこそカオスであり、言葉というものはない。全部同じ曲に聞こえるという言い回しがよくあるし、一昔前であれば大人がロックサウンドをそう評するのに若者は辟易としていたのだが、しかし、ほとんど聴かないジャンルの楽曲が似たり寄ったりに聞こえるのも確かである。やはり大差がないのが世界の本質である。同時に個性も大事だとか両論併記のように書いて筆を置くのは面白くないので、大差がないのがとても重要だと強調しておこう。人類というのはコカ・コーラが並んでいるのと同じである。コカ・コーラに内面性はないというかもしれないが、人間の内面はだいたい似通っており、だいたいセックスや金のことを考えているわけで、やはりコカ・コーラが並んでいるのと同じである。つまり七十二億人の宇宙人がこの地球上に住んでいて、それぞれがオンリーワンで何を考えているのかさっぱりわからない、というのではないし、認識システムも同じだから、その認識の対象も普通名詞で括れる。酒を飲んでるとしたら酒を飲んでるのであろうし、分類するとしてもビールはビールだし、ビールにも種類はあるだろうが大差はないのである。日本酒とかウィスキーとか、その飲み方も分類もできるが、それもやはり普通名詞で表現できるし、ともかく酒を飲んでいる奴は全員同じと言うか大差がないのである。







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