「わたしを信用出来ないですか」と言ってくる人に時たま出くわす。
なぜか異常者ではなく、正常人なのである。
つい最近だと、ほとんど初対面の営業マンの人から「わたしを信用出来ないのであれば」と言われたり、はじめての歯医者でインプラントを薦められて「わたしを信用できませんか」と言われたりとか、要するに押しが強い営業の手法なのである。
イエス・ノーで答えるとすれば「信用できません」と答えるしかないが、面と向かってそんなことは言えないので、「信用できる」と答えてしまうお人好しだっているわけである。
もちろん1か0かで答えられる話ではないから、こんな阿呆な問いかけに答える必要はないし、相手もキチガイではないから、こちらの沈黙で理解するであろうし、「初対面の人からそんなことを言われても判断できません」と明確な言葉で説明する必要もあるまい。
つまるところ、たぶん他人を信用しないのは嫌な人間という前提があり、ちょっと押しの強い人が、相手のお人好しを狙って「わたしを信用できませんか」とイエス・ノーを迫るのだが、こちらとしてはきっぱりと断れるかどうかが重要である。
当然ながら断ると雰囲気が悪くなるし、こちらが悪者であるかのようだが、相手としてもそれが一種の脅しなのであるし、それがどうしたということである。
ともかくこれは正常なのである。
あるいは、言葉の定義の問題でもあるが、モラルの低さは異常性ではない。必要もないのにインプラントを薦める歯医者は決して立派ではないしモラルも低いが、正常だというしかないのである。
では異常なのは何かと言うと、たとえば恋愛ストーカーであろうし、強引である点では同じであるのだが、やはり好意というのは危険すぎるのである。
好意というものの実態は、土足で上がり込んでタダ飯を食らうような狙いだから、幼児が親に甘えるようなもので、無償の愛を求めているのだからイノセントとも言えるのだが、端から見ればただの寄生虫である。
押しの強い営業(悪意)は正常だが、恋愛ストーカー(善意)は異常だと言うしかない。
押しの強い人は善意ではないから、決して褒められたものではないが、こちらが毅然と断ればそれで済む。
善意を断るのはとてもむずかしいのでかなり厄介ということなのである。
こうやって考えると、こちらがどれだけ断っても食いついてくるのを異常性とみなしているのかもしれない。







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