2018.10.08
不安とは
不安とはなんぞやと、それを敢えて一言で言うなら、悲観的な感情ということになろう。先の見通しが悪いことに慄えるのである。「気持ちの切り替え」で済むこともあろうが、いくら楽観視しようが借金苦の男の債務が減じるわけではあるまい。現実そのものは変わらないのである。未来は不確定だが、だいたい現在の状態から予見できる。力への意思で勝利するという物語にしてしまうと、これは不安の問題を棚上げにしてしまうというか、やはり勝利の可能性が見えないときこそ不安に襲われるわけで、目処が立たない苦境を大前提にしなければならない。世の中には借金を踏み倒すのが当然という御仁もいるから、不安とは内面の個性の問題と言えなくもない。つまり極端な厚かましさ、図々しさ、無感覚の類である。たとえば蛭子能収のような人間なら、何があっても平気かもしれないが、そういう箍が外れた人間は念頭に置かず、不安は人類普遍だと語るべきなのか、ということである。プラス思考/マイナス思考という愚にもつかない論で筆を走らせるのは気怠いし、それをやるなら文弱と武人を対比させて、武人の肝の据わり方というか、不安になるような戦況を度胸試しとして捉え、死を目の前にしても揺るがない胆力を示すという物語を語った方がまだマシであろう。あるいは、現実はわれわれを中途半端に打ち漏らしてくれるので、あっさり命を散らすことも簡単にはできないから、落魄の身として憂いを生きることも厭わない境地である。蒼白い文弱としてその暗澹たる生活史を最大限に描きつくすのもありだろうし、荊棘のような煩悶は生身の人間として生きている限り途絶えることがなく、この大地における王朝絵巻として誰が本物の貴種で誰が賊徒かという内面的な闘争でもある。
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