2018.10.29
悪知恵と社会性
かつて世間知らずは美徳とされていた。有村悠さんのような鈍感な人間が肯定的に見られる側面があったのである。箱入り娘にしておきたいという発想は古来からのものであるし、戦後社会では教育ママが男子に対してもいわゆる過保護として箱入り息子にするべく血道を上げていたのである。ソーシャルスキルを去勢するものであるから、昨今の社会では時代錯誤も極まりないが、こういう鈍い男子は悪知恵も働かないし、独善的な資質を持った母親にとっては理想的だったのだ。社会性のある善人だってたくさんいるので、世間慣れすると悪知恵が身について穢れるというのは必ずしも正しくないし、つまるところ神経症的な潔癖さの問題となるだろう。39歳まで無菌室育ちの有村悠さんを見れば、世間知らずは美徳であるどころか、戦慄するべきテロリストという側面もある。善人と悪人というのも多種多様であり、刑務所の囚人のマジョリティは知的障害者である。この知的障害者の群れはまさに知恵遅れであり、悪知恵の欠落により警察にすぐに捕まって刑務所の常連となる。このところ大企業が、法的に必要な基準を満たしていない製品を製造している実態が報じられているが、これなどは社会全般に胚胎し絶え間なく湧いてくる悪知恵である。バブル経済の頃の大手銀行も同じことである。この手の悪知恵に手を染めないためには有村悠さんのようになればいいという発想もありえるのである。ロンブー淳や西村博之のように社会的な悪知恵を体現した怪物に比べれば、有村悠さんの方がマシだというのが有村ママンの潔癖な考えなのである。もちろん、ごく普通に真っ当な社会人もいるのだから、こういう二択で考えなくてもいいだろうが、有村悠さん個人はだいたいロンブー敦や西村博之と似たり寄ったりの人間性であるし、悪知恵を身につけるか否かという二者択一になるであろう。悪知恵を巡って戦うのが社会の力学であり、そのせめぎ合いこそが人間とも言える。悪知恵を壊滅すべく知性を使う自由もある。それによって悪知恵が根絶やしにされることはなく、悪漢の一群が退場し、その隙間を縫うように別の連中が新しい悪知恵で台頭する不毛な戦いでもある。大雑把に善と悪は決まっているが、なんとも言えない灰色の領域こそが悪知恵の主戦場となるので、東京地検特捜部のように正義の英雄として一世を風靡して、いつの間にか悪知恵を働かす側に転じてしまうのも人間らしい光景である。このような血腥い俗物との生々しい闘いに参戦しなかったのが有村悠さんだが、東大卒エリートの悪知恵に高卒の有村さんが対抗するのは無理であるし、このまま無菌室で空疎な思想を振り回しながら、十年一日の如く生きていくしかないのであろう。
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