他人の意思を尊重しなければならないという正しい意見はともかく、われわれは他人の意思を左右することを目指している。他人の意思を支配下に置きたいのである。たとえば他人を善導することが、独善的であるにせよ、われわれの目的なのである。そもそも意思とはなんぞやといってもよくわからないが、何かしら選択肢の問題であろうし、その他人の選択に介入したいのである。「悪い影響」という言い回しがあるが、われわれは何者かに感化されて存在している。いろんな意味で、良くも悪くも影響関係なのである。自由/不自由について言うなら、好んで影響を受けるのが自由で、好んでないのに影響を受けるのが不自由という通俗的な分類は出来るが、ここで正しい意見は述べない。人間は模倣する存在であり、知らず知らず他人を真似てしまう。毒親とロールモデルは、快楽と苦痛が同文脈であるとするなら同列に並ぶ。洗脳という言葉があるが、これは「悪い影響」という価値判断を含んでおり、他人に影響を与えるという人間の基本原理について、気に食わないものだけを揶揄しているのである。ビートルズを真似すると不良になるとかいろいろ言うのも、影響への畏怖やその阻止なのである。教育論というのは、要するに他人の意思に好影響を与えたい独善主義者が唱えるわけである。誰かの意思を巡ってスカウト合戦のような争奪戦が起こるのはわれわれの日常の光景である。われわれはいつも選挙運動をやっている。命令者たらんという欲求を持つ人間が賢明とは限らないし、下手くそに限って教え魔ということもある。劣悪な人間が世間を善導するべく選挙に立候補するのは致し方あるまい。物理的な暴力で他人の肉体を支配するのは、「よい影響」「悪い影響」を超えることもあるが、物理的な暴力を使いつつ時には優しくしたりして他人を飼うドメスティック・バイオレンスな行為については、相手の意思を無視しているように見えながら、実は相手の意思に重大な関心があるわけである。劣悪な先輩がただ後輩を支配するために理不尽な命令を繰り返すのは、後輩そのものには関心がなく、自らの政治的立場を守るためであろうから純然たる権力欲求とも言える。とはいえ、そういう暴力的な絶対支配もやはり思想的に染め上げる必要があるだろう。さて、このエントリーは正しい意見を書くことが目的ではないので、もっともらしい結論はつけないが、他人の意思を巡る力学について類聚的に書き綴ってみた。







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