たとえば弁護士があちこちの名誉顧問に就いて高額の報酬を得るとする。(あくまで喩え話だから名誉顧問の活動の中身がほとんどないという想定で話を進める)。これは不労所得という側面があるわけだが、弁護士であるのが大前提であるなら、誰でもなれるわけではない。不労所得という言葉の正確な定義もなかろうが、誰でもできるというのがイメージではある。地主が土地を駐車場として貸すのが典型的な不労所得であり、弁護士が名誉顧問となって多額の報酬を貰うのは、また別の種類のものであろう。「同じ」と「違う」を厳密に考えると難しいし、完全に一致した場合だけ「同じ」なのかという論理学的難題に逢着するから、1か0かという話にはしない。人倫として是非を問うわけではなく、あくまで漠然たる比較検討の問題である。弁護士が名誉顧問として名前だけ貸すのは、労働を伴わない点では不労所得だが、「弁護士でなければできない」のであれば、駐車場を貸すのとは性質が違う。あるいは、他人の財産を奪い取ることは出来るが、弁護士とか医者は属人的な能力であるし、免許を騙し取ることが原理的に出来ない。医者はそれなりに世襲の側面があるし、下駄を履かせて貰えることもあろうが、この論考でそこまで考える必要はあるまい。財産の所有権は移転出来るが能力は移転できない。能力こそが人間の本質だという思想があるのは、その移転不可能性ゆえである。その思想に従えば、自らの能力で名誉職を得ている限りは非難される筋合いはないとも言える。汗水垂らして働くのが偉いと説くのは容易いにしても、舟遊びに明け暮れる貴族と中卒の底辺労働者のどちらになりたいかというと本音は別であろうし、労働だけに価値があるという思想の正しさも、赤化青年の憧れは独裁的指導者たらんとすることであり、労働に忙殺されることではあるまい。働きたいように働くというのがユートピア思想であろうが、労働をしたいというよりは労働から解放されたいのであろうし、これはつまり有閑階級の発想である。人間は誰しも有閑階級への羨望を抱いており、その度し難い欲求が極左革命を起こし、愚にもつかない暇人の有象無象を生み出し、その挫折を経て、他人の需要に隷従し買い叩かれる資本主義への迎合が促される。







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