昭和を生きていた人間なら当たり前すぎる話であるし、凡庸なエントリーになってしまうが、令和になったのを機に昭和時代を回顧するのもよかろう。昭和時代は、遠距離通勤や遠距離通学が普通であり、片道二時間も常識であった。すべてはマイホームのためであり、通勤通学の距離がドーナツ化現象で伸びていったのである。最近であれば、夢のマイホームというよりは、都心のマンションが選好されるし、通勤通学の時間の短さが優先される。この文脈で最大の問題となるのは「移動時間」であるから、時間と空間の概念がごちゃまぜになってしまうが、満員電車に二時間乗るのと10分で済むのとではストレスがまったく違うのは言うまでもない。移動時間を短くするために空間の距離を短くしたいわけである。空き家問題と限界マンションの話を見比べると、マイホームの方がマシという気はするし、マンションの修繕費の高さを考えると築年数が経過したときのコストは重いが、修繕費に無知蒙昧なひとばかりではあるまいし、老朽化したマンションの面倒な事情は踏まえた上で目先の綺羅びやかさや交通の利便性を優先している人だって少なくないはずだ。昭和時代に満員電車に揺られつつ遠距離通勤や遠距離通学が幅広く行われていたのは、人口密度への耐性もあろうし、今なら反吐が出るような人混みにも慣れていたのである。とはいえ本当に平気だったのではない。苦痛ではあるが、世の中そういうものだと思っていたわけだ。最近は人口密度という単語をさほど目にしないが、昭和の頃はかなり使用頻度が高かった。多くの人は人口密度について嘆いており、それでも遠距離通勤・遠距離通学していたのである。データを調べずに書くが、この三十年くらいで、都心の地下鉄網はかなり発達しているし、逆に、神奈川県や千葉県から都心に行くときの混雑は緩和されてない気がする。都心の地下迷宮の圏内にいたほうが、混雑は避けられる。人口密度への畏怖は昭和の人間の篋底にまだ根ざしており、二度とあの時代に戻りたくないという観念が少子化の遠因でもある。かつては耐えられたものに耐えられなくなるというのは奇妙だが、(あまりこの話題はしたくないが)最近の綺麗なトイレに慣れたら、昭和時代のトイレなどおぞましすぎて寒気がする。人口密度の低さは、いわば綺麗なトイレのようなものかもしれないし、人口密度の低さを体験してしまったらもう昔には戻れない。そもそも昭和生まれのわれわれが「日本の人口は少なくていい」と思うのは認知のゆがみであろうし、若者の人口は増えたほうがいいと考えるのが合理的なのだが、氷河期世代の経済的困窮も合わせて考えると、認知のゆがみを正したら子供をたくさん作るというわけでもあるまい。本当の最貧国なら、貧乏子だくさんという現象もあるが、氷河期世代は中途半端に教育を受けているし、人間は少ない方がいいという先進国的な結論に落ち着くのである。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング