2020.04.29
紹介状差別の再燃。親族に医者がいない卑しい家系。
なぜわたしが医者から嫌な目にあってきたかと言うと、親族に医者がいないというのが大きい。これはかなり決定的である。親族に医者がいると紹介状を書いてくれて便宜を図ってもらえるが、いない場合には差別される。もちろんこれは昭和時代の話であり、平成になってからは誰でも平等に診てもらえるようになったはずだが、コロナウィルスが蔓延してから、出身階級の格差を痛感している。たとえば金持ちがアビガンを高額で買って飲んでいるのなら致し方あるまい。現在の日本で起こっている現象はそれではない。国民皆保険だから誰でも料金は同じである。それなのに家柄によって医療が違うのである。家柄がよいとアビガンが飲めるが、家柄が悪いとアビガンが飲めない。家柄が卑しい人間は保健所にひたすら電話をするしかなく、そして検査など受けられないし、アビガンは遠い夢なのである。これはわたしの妄想ではない。昭和時代にあった家柄の格差が明らかに再燃しているし、有名人や有力者だけアビガンを飲めるのはおかしいという社会的矛盾に行き当たっている人々は少なくないはずだ。われわれは医薬品に依存しているが、医師の診察は必要としていない。手術が必要なら医者に頼むしかないが、薬で治るなら自己診断で充分である。つまり、実際にはアビガン頼みであるのに、医者という特権階級がそれを牛耳り、紹介状持参の人間に優先的に手配しているわけだ。この三十年くらい消えていた紹介状差別が露わになっている。これによって誰も恨むなと言われても無理である。どれだけ札束を積んでも家柄には敵わないのである。医師の診察は本当に不要で、アビガンだけ欲しいのだが、その願いは家柄が卑しいという理由で妨げられる。紹介状の有無による差別問題が30年ぶりに発生していることはほとんど報じられていないが、やはり医者に感謝しないと殺されるからなのだろう。われわれの他者への尊敬は自己防衛である。だが、家柄が卑しいとアビガンを貰えないという厳然たる構図が明確になりつつある現状で、どこの誰が医者に感謝するというのか。親族に医者がいる場合は、自らの華々しい出自に感謝するのかもしれないが、ルーツ次第でトリアージされているのであるから、この怨嗟は永遠に拭えない。麻生太郎のような家柄主義者の存在がこの風潮の一因かもしれないが、平成時代から麻生太郎はいたし、麻生太郎が紹介状差別を推奨したわけではあるまい。こいつが他人の出自を差別していても、この三十年くらい日本社会は差別の解消を進めてきた。結局のところ、コロナウィルスの蔓延によって、医者に直接コンタクトが取れる人間が有利になっているし、現政権の家柄主義もあり、遠い昔の紹介状差別が蔓延している。であるから、差別との闘争を三十年ぶりに再開するしかないのである。
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