このエントリーは講談社ブルーバックスから出版されている「免疫力を強くする 最新科学が語るワクチンと免疫のしくみ」(宮坂昌之著)を読んでの感想文のようなものだが、決してこの本の要約ではないし、あくまでこの本を読んで、現在の状況についての愚見を述べるだけである。

さて、ワクチン開発自体は簡単だが、安全性が極めて高いワクチンの実用化はかなり時間がかかる。
コロナウィルスは感染力がやたらと強いだけであり、病気そのものは軽度である。コロナを防ぐためにワクチンを接種して重大な障害が残っては莫迦莫迦しいので、安全性が高くなくてはならない。
もし、エボラ出血熱だったら話は別で、この恐ろしい病気を防ぐためなら安全性度外視もあり得る。たとえばそれなりの確率で障害が残ったとしても、エボラ出血熱に比べたらたいしたことがないからである。
こうやって考えると、コロナウィルスのワクチンは、安全性の確認まで何年も掛かる可能性もある。安全性を確認する時間を省くほどの致命的な病気ではないし、未知数のワクチンを使うくらいなら、それこそ本物のコロナウィルスに感染した方がマシなのである。
いや、それこそワクチンなど待たずに、さっさと本物のコロナウィルスに感染してみてはどうか、という話なのである。たとえば感染したらどんなに重症化しても病院に行かないという覚悟があるなら、意図的に感染して自主隔離でもいいと思う。一度感染したら二度と感染しないわけではなさそうだが、免疫とはそういうものだし、ワクチンによる免疫でも完全に防御できるわけではない。
念の為言うが、前掲書の著者は決してこんな主張はしてない。
わたしが勝手に書いているだけである。
ちなみに前掲書によると、ワクチンで障害が出たら補償金を支払うという発想があり、あらかじめその費用がワクチンの費用に含まれているのがアメリカではずいぶん浸透していて、日本では浸透してないらしい。
こう考えると、コロナウィルスのワクチンについても、アメリカだと、障害が出たら補償金という具合で見切り発車してしまうかもしれない。
なんにせよ、コロナ死と経済死を秤にかけたとして、アメリカはコロナ死を軽んじており、日本は経済死を軽んじている。
人間は理由を説明しないで物事を運ぶことにしており、日本人は特にその傾向が強いのであるが、そろそろコロナ死と経済死の選択について、口にしなければならない状況になっている。
なぜ人間は理由を説明しないのかというと、理由を言うたびに反論されるからだろうし、それが真っ当な反論であれ、苦し紛れの反論であれ、物事の遂行には邪魔である。また他人を無視するのは対人的な攻撃として強度があり、説明して納得させるより遥かに効果が高い。この人間的な、特に日本人に強い気質が、どうもコロナ死だけを徹底的に防ぐために突き進んでいるように思える。







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