このところ判子が不要という意見があり、それ自体はもっともなので歓迎するべきだが、どうも判子の役割について本人証明のことだけ考えている人が多い気がしてならない。
判子というのは、最終的な契約の調印のために重要である。何らかの契約をするとして、人間はあれこれと不満があるわけだが、渋々と判子を押したりする。双方が一点の曇りもない晴れ晴れとした心境で判子を押すわけではない。そしてその不可逆性が社会の根幹なのである。もちろん判子ではなく直筆の署名でもいいのだが、いろいろと迷いながらも、決めたらキャンセルできないことが重要である。
こういう話題で、わたしは土屋アンナの降板騒動を思い出したのだが、なぜかWikipediaではあの一件が完全に削除されている。編集合戦があったのかどうか、そこまでは見ていない。
なんにせよ、あの騒動においては、脳性麻痺の原作者は渋々と同意していたはずなのである。その後でも愚痴愚痴と不満を持っていて、それでたまたま土屋アンナの正義感が炸裂したのであろう。
素晴らしい原作が映像化や舞台化によって悪夢のような愚作に仕上がろうとも、それはそれでよくあることであろう。
原作者には原作を引き上げる権利というのがありうるが、ここでは意思確認が曖昧な事例として引き合いに出しているだけなので、そこまで深くは考えない。
土屋アンナが実質的にこれで終わっているのも、やはりクソ作品だという理由で降板するのは芸能界として好ましくないのであろう。正義感の強い野次馬からは拍手喝采を浴びたが、やはり痛々しい失敗作でも渋々とやり遂げなければならない。原作者の不満に取り合わないのが妥当であろうと思う。短絡的な正義とは別に、契約したからにはやるというルールもある。
判子を廃止するのはいいとして、渋々と判を押すような決断の場をどうやって作りだすのか、その認識を社会的に作り上げることも必要である。同意したのか同意してないのかあやふやというのでは困る。直筆の署名に切り替えるのでは手間が変わらないだろうから、電子的にポチる意思表示の重みの話である。







スポンサードリンク

最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
リンク
スポンサードリンク
RSSフィード
プロフィール

ukdata

Author:ukdata
FC2ブログへようこそ!

katja1945uk-jp■yahoo.co.jp http://twitter.com/ukrss
あわせて読みたい
あわせて読みたいブログパーツ
アクセスランキング